歴史の源流は1万4,000年前のヨルダン?文明のシンボル「パン」の歴史|食の起源
われわれ日本人は幼少期から米を大事にすることを教えられてきた。「米一粒、汗一粒」の格言に見るまでもなく、米粒を無駄にすることには罪悪感を覚えるのである。
いっぽう西洋では、パンがその位置にある。キリスト教と深い関連があるパンもまた、ただの食材にとどまらず文明のシンボルとして君臨してきた歴史がある。パンの楽しい歴史をのぞいてみようではないか。
典礼秘跡省が布告した「あるべきパンの姿」
キリスト教においてパンは、聖餐式に使用される大変重要な食材である。これはイエス・キリストが「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と語ったことに由来する。そのため、聖体拝領の儀式ではワインとパンが使用されるのである。
2017年7月、バチカンの典礼秘跡省はこの儀式に使うパンとワインについて「スーパーの安売りで目にするようなものは使ってはならぬ」と布告した。
いわく、パンは「新鮮な小麦を使用した無酵母であることが条件で、グルテンフリーは認められない。はちみつやフルーツなど余分な食材は加えてはならない」ことに加え、「正直な信者であるだけではなく、伝統的な聖体拝領用のパンを作る技術と道具を有している職人の手によるもの」と明記されている。
このような内容が、ロバート・サラ枢機卿によって麗々しく布告されたのである。パンがいかにキリスト教会にとって重要であるか、この一事を見てもお分かりいただけると思う。
文明とともに存在したパン
パンの起源には諸説あり、農業が根づく以前から人々は穀類を砕いて粉にして焼いていたとも言われている。小麦が栽培されるようになった時代、スープなどで食べるよりもよほど消化しやすかったのがパンであったと考えられている。
パンの起源がこれまでの定説よりもさらに古いのではないかとニュースになったのは、2018年のことである。米国科学アカデミー紀要に発表されたところによると、中東のヨルダンではなんと1万4千年前にパンらしきものが存在していたというのである。発酵の技術はまだ普及しておらず、現代のピタパンのようなものであったという。
発酵によって膨らんだパンが登場したのは、古代エジプトであったようだ。
古代ローマの博物学者プリニウスによれば、ローマ世界においてパンが日常的に食べられるようになったのは共和政の後期であったという。マケドニア最後の王ペルセウス王がローマに敗北したのち、その奴隷たちによってパンの製法がローマにもたらされたという説が一般的である。
「パン屋」という概念が生まれたのも古代ローマであった。パンは非常に重要な食品であったため、パンを焼く釜は半ば政府によって管理されていた。五賢帝の一人トライアヌス帝の統治下、パン職人の組合が結成され庶民にパンがいきわたるようにシステム化されたのである。ちなみに、3世紀のローマには254のパンを生産する釜があったことが判明している。
そのころになるとパンの種類も増えて、おそらく現在のピッツァに相当すると思われる「delpanis streptipcius」や前菜とともに供された「artologalum」というパイ生地のようなパン、現代のピアディーナの先祖ともいえる「panis testicius」などの存在が確認されている。
世界に伝わる古代からのパン
パンといえば西洋のものというイメージがあるが、世界最古のパンが中東で発見されたことでも明らかなように、世界各地に存在する。たとえば、現在はロティと呼ばれているパンも、インドやパキスタンなどで食されてきたパンの文化の一端である。レバノンには、ひき肉やチーズとともに食べるマナイーシというパンがあり、これも歴史が古いとされている。
アメリカ大陸はどうだろうか。アメリカ大陸ではパンを作るときには小麦ではなくとうもろこしが使用されていた。つまりコーンブレッドである。現代のアメリカでも感謝祭などに登場するコーンブレッドは今でこそ食べやすく砂糖などが加えられているが、本来はネイティブアメリカンの人々が食する素朴なパンであった。
パンにも階級があり?中世ヨーロッパのパン
ローマ帝国が晩族の侵入によって滅亡すると、質の良いパンの生産は修道院に受け継がれていく。宗教的な理由からも、キリスト教会においてパンは不可欠であったのだろう。一般庶民は領主が管理する釜でパンを焼いていたが、この釜にも税金がかけられていた。
また、中世からルネサンスにかけてのパンには階級別に使用される粉が異なっていた。教皇や王が食べるパンは上質な小麦粉を使用した白いパンであったのに対し、貧しい人々はカラスムギや麩(ふすま)を使ったパンを食していたのである。また、長期の巡礼に参加する人は、水に漬けて柔らかくして食べる乾燥したパンを持参していたこともわかっている。
現代のトスカーナには、固くなってしまったパンを水と酢でふやかしてオリーブオイルをかけ、トマトやキュウリ、玉ねぎなどと混ぜて食べる「パンツァネッラ」という料理がある。主食のパンを無駄にしない貧しき時代の名残といえるレシピかもしれない。
ビール酵母の普及によりパンの種類が増えたルネサンス時代
ルネサンス時代はパンの世界のおいても革命といってもよい事象がある。それが、ビール酵母の普及であった。天然酵母とモルトを組みあわせたこの酵母菌の普及によって、パンは種類を増やしていく。オリーブオイルやバターを使ったパン、干しブドウやアニスを含んだパンなどバラエティが飛躍的に増えたのである。菓子の役割を果たす甘いパンも生まれて、パンは日常の必需品としてだけではなく嗜好品としても普及していったのである。
ちなみに、日本人が西洋のパンの代表として思い浮かべるフランスのバゲットは、1830年ごろに生まれたといわれている。蒸気を使ったオーブンの技術が向上して、外側がカリっとしたパンができるようになったためである。
2017年にナポリのピザがユネスコの無形文化遺産に認定されたときには、パリのパン職人たちが瞋恚に燃えて、マクロン大統領とともに「バゲットも世界遺産に!」と運動したことはヨーロッパでもニュースになった。
日本とパンの関係
日本にパンがもたらされたのは、鉄砲とともに種子島にやってきたポルトガル人によってである。ラテン語で「panis」と呼ばれていたパンは、まさにポルトガル語でありそのまま日本に名称が根付いたのである。
とはいえ、日本では小麦の栽培が盛んではなかったため、パンの生産はなかなか普及しなかった。幕末、江戸湾の警備を命じられた伊豆韮山の代官江川太郎左衛門が、兵糧として使用できる固いパンを考案したという事実がある。実際、伊豆の国市の史跡「韮山反射炉」などでは、江川太郎左衛門の兵糧パンが現在も販売されている。
文明開化のシンボルであったパン
西洋では文明のシンボルであったパンは、日本においては「文明開化」の表象であった。明治時代になって鎖国が解かれると、来日する外国人のためにフランスパンやイギリスのパンが生産されるようになる。くだんのバゲットも、明治になって早々にフランスのカトリック教会によって生産されている。しかし固いフランスパンの人気はイマイチで、日本人は当時から柔らかめのパンを好んだという。
その結果生まれたのが、木村屋のあんパンである。ジャムパンやチョコレートパン、はてはお総菜パンなど日本のパン文化は西洋とは一線を画して発展してきた。
コロナ禍に見舞われた2020年、自宅でパンを作る人が増えるという現象が顕著であった。パン種をこねながら、人類の歴史とともに歩んできたパンの歴史に思いをはせてみるのも愉しいかもしれない。
イタリアの片田舎で書籍に埋もれて過ごす主婦。イタリアに住むことすでに十数年、計画性なく思い立ったが吉日で風のように旅行をするのが趣味。美術と食文化がもっぱらの関心ごとで、これらの話題の書籍となると大散財する傾向にあり。食材はすべて青空市場で買い込むため、旬のものしか口にしない素朴な食生活を愛す。クーリエ・ジャポン、学研ゲットナビ、ディスカバリーチャンネルなど寄稿多数。