イギリスの良心を守れ!NHS病院スタッフへ送る食のエール|コロナ猛威の中の世界の食
コロナウィルスが猛威をふるいはじめて以降、大きく変わった私たちの生活。日本でも東京をはじめ外出自粛の動きが広まってきたが、多くの国では日本よりも早い段階で外出を規制する動きが広まった。そんな窮屈な生活の中で、海外の人々は食とどのように付き合い、また楽しんでいるのだろうか。今回は現在のイギリスの様子を、現地在住の江國 まゆ氏に、「食」という切り口からレポートしてもらった。
昔からチャリティ精神旺盛なイギリスでは、国民医療制度NHSへの支援が国をまとめる一致団結の鍵となっている。かつてない危機に襲われる外食産業でも、活性化の鍵はチャリティにあった。ロンドンから現在の食をレポートする。
イギリス人がパブにいけなくなる日
いったいどのイギリス人が想像できただろうか? パブに行けない日が来るなんて……。
イギリスでは新型コロナウイルス対策の一環として、3月23日からパブやレストラン、カフェなどの飲食店を強制的に閉じ、人と人との接触を減らす「社会的距離」戦略に乗り出した。食料や日用品の買い物、一日一回のエクササイズ以外の外出は控えるようにとのお達しだ。いわゆる「ロックダウン=封鎖」と言われる政策である。
3月15日までジョンソン首相のコロナウイルス対策は、かなりリラックスしたものだった。英語で言う「Laid-back」している感じだったと思う。「ハッピーバースデー♪」ソングを 2回歌いながら温水で手洗いすることを推奨しつつ、自然にまかせて集団免疫を獲得させるというシナリオを聞いたとき「やるなイギリス……」と思ったものだが、実際は国民医療制度への負担が大きすぎると専門家から指摘を受け、あえなく政策転換。そして人々は、生活の根幹とも言えるパブに行けなくなった。
コミュニティが一丸となって取り組む
イギリスでもロックダウン前から保存食を中心に備蓄買い行動が見られ、空っぽになった棚の画像がセンセーショナルにメディアに映し出されていたが、それも今は収まり、必要なものはスーパーや食材店でほぼ問題なく手に入る。
しかし実際は同じ時期、スーパーにないものでも独立系の個人商店では扱いがあるものが多かった。私自身、最もモノがないと言われていた時期に特に問題なく過ごすことができたのも、こういった商店のおかげだったのかもしれない。ないものを探してスーパー通いをしていた人も、視点や行動を変えることで生活の在り方に違いが生まれていたことも確かだ。
一方、70歳以上の高齢者やハイリスクの疾患を抱えている人は自主隔離を徹底するように言われているので、食料品の買い出しもできれば人に頼む。実はロックダウンになる前から、こういったケアを必要としている人々をサポートしようと、全国各地でボランティア・グループが立ち上げられた。その数は3月半ばの段階で全国に400強。現在はもっと増えているはずである。
3月24日、イングランドでは自宅隔離されている150万人のために食料品や薬品を配達するためのボランティアを募ると発表したところ、24時間で40万人以上(!)の応募があり、有志に対して全国から賞賛の声が上がった。最終的に50万人以上が手を挙げ、すでに活動を開始している。
お年寄りだけでなく、医療従事者やスーパーマーケットのスタッフなど「キーワーカー」の子どもたちに温かい食事を無料で届けるケータリング会社が出てきたり、アルコール消毒ジェルを開発して無料配布するビール醸造所が出てきたりと、相互扶助やチャリティ活動が活発になってきたのもこの頃。隔離生活は人々を肉体的に隔てているけれど、コミュニティや家族、友人同士の連帯感はむしろ上がっているようにも見える。
地域のメンバーが誕生日を迎えた日、同じ通りに住むご近所たちがそれぞれの玄関先で社会的距離を保ちながら、ワイン・グラスを掲げて乾杯するといった粋なニュースは、実は一箇所から聞こえてきただけではないのだ。
外食産業の挑戦
どの国も同じだが、外食産業への打撃は計り知れない。
イギリスでは飲食店への強制クローズが言い渡されたのとほぼ同時期に、政府から上限月2500ポンドまで給与の8割補償が提示されており、事業オーナーへも数ヵ月は家賃の支払いをしなくてすむよう「賃貸猶予」のサポートが入っている。ただし支払いは据え置きされているだけで結局は借金となってのしかかってくるうえに肝心の営業ができない状況のなか、業界では政府からのさらなる強力な支援を要求するロビー活動がまだまだ続いている。
もちろん各店も手をこまねいて施しを待っているだけではない。
持ち帰りやデリバリー営業のライセンスを持たないレストランでも、1年間はライセンスなしで営業可能となったことで、業務切り替えをしているところは多い。コース料理を事前注文で請け負ってデリバリーする本格的なレストランもある。またギフト・バウチャー購入という名目でサポートを促しているレストランも多数。
パブが恋しいイギリス人のために、 Zoomなどを使ったバーチャル・バーが立ち上がっているのも面白い。スコットランドのクラフト・ビール・ブランド、BrewDogはバーチャル・バーの先駆者で、カリスマ創業者2名によるビール・テイスティングやクラス、パブ・クイズやゲームなど盛りだくさんの内容で楽しませている。
パブ・クイズとは一緒に飲みに来ている仲間たちでチームを組んで、パブが用意した雑学的なクイズに答えて正解数を競うイギリス伝統の遊びだが、このイベントをオンラインで実施するパブや醸造所が増加中。自宅にいながらソーシャルな繋がりを保ち、自主隔離でなまった頭脳を活性化させる絶好のチャンスと、パブ文化を恋しがるイギリス人たちの間で広まっているようだ。
クラウドファンディングで資金を募り、地元チャリティ団体とチームを組んで地元地域の弱者へ食事を提供しているケータリング会社もある。こういったチャリティと連動する動きの中でも最も大きなものが、イギリスが誇る無料医療制度NHSの医療スタッフを支えようとする国民の総意から生まれたクラウドファンド・キャンペーン「Feed the NHS」である。
NHS病院に絶大なるエールを
ボリス・ジョンソン首相率いる英国政府が現在最も力を入れているのが、NHS病院の医療スタッフに感謝しつつ応援し、国民が一丸となってこの難局を乗り越えることだ。首相自身の症状が悪化し、集中治療室で治療を受けた国はイギリス以外にないと思うが、ジョンソン首相がこの体験を通して回復したことで、NHSへの信頼や感謝の気持ちは一段と高まっている。
スタッフ用の食堂が整備されていない病院もあり、過酷な長時間労働の間に温かい食事にありつけないことも多いNHSヒーローたちをサポートするため、食事を無料・割引提供する飲食店の動きはもともと活発だった。飲食店だけでなく、一般ボランティアたちがNHSスタッフに無料の食事を提供する活動も全国的に定着している。またNHSスタッフ用に専用割引を設けている独立系の食料品店も多い。
そんな背景のなか影響力のある俳優やコメディアン3名が、NHSスタッフに一日一食温かい健康的な食事を届けることを目的に、クラウドファンド・キャンペーン「Feed the NHS」を立ち上げた。3月27日のことだ。
集まった資金は直接NHS Trustへと送られ、キャンペーンに参加登録している飲食店へ注文を送って食事を提供してもらう仕組み。登録しているのは、主にチェーン展開している体力ある飲食店が中心になっている。約1万1000人がこれまでに賛同し、集まった資金は4月半ばの段階で100万ポンド強(約1億4000万円)! 先週はロンドン市内11の病院に3万5000食を提供。今週は4万5000食以上をロンドンだけでなくバーミンガムやマンチェスターといった地方都市の病院にも届ける予定だという。
世界はコロナから何を学ぶか
名のあるシェフたちはSNSチャンネルを使って、料理キャンペーンや料理教室をスタートしている。インスタグラムを使ったキャンペーン「Hospitality for Heroes」では健康的でクリエイティブなレシピをノミネート制で公開するチャレンジが繰り広げられ、家庭での料理時間を応援すると同時に、やはりNHSスタッフへの食事提供も行なっている。Feed the NHSと異なるのは、提供される料理のクオリティがロンドン・トップレベルであること。シェフたちは士気を保ちキッチンを稼働させ続けることができ、また上質食材を扱うサプライヤーへも恩恵がある。
毎週木曜日の夜8時、NHSで働く人々に感謝を伝えるため玄関先や窓から拍手を送ることが恒例となっているイギリス。この危機的状況に際して NHSスタッフへの感謝の気持ちが、イギリスに暮らす全ての人々の心を一つにまとめていると言えそうだ。
今後、コロナ禍が及ぼす影響は計り知れない。しかし世界はそこから確実に何かを学ぼうとしている。奪い合うのではなく、分け合うことを選択できること。当たり前だと思っている食べ物に感謝し、こうした不測の事態に備える方法を、誤らないこと。
世界の食の課題はたくさんあるが、めぐりめぐって緩やかな地産地消へと戻っていくための一つのきっかけになると良いと思う。
江國 まゆ
イギリス情報ウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」編集長。ロンドン在住ライター/編集者。出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて日本語編集者として働いた後、2009年からフリーランス。趣味と実益を兼ねた食べ歩きを精力的に行い「美食都市ロンドン」の普及にいそしむ。著書に『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)、『ロンドンでしたい100のこと~大好きな街を暮らすように楽しむ旅』(自由国民社)。