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星付きシェフに野菜を届ける「槇村野菜笑店」が目指すのは、古くて新しい八百屋の姿|食のミライ

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国内外のハイブランドショップが立ち並び、街には洗練されたファッションで身を包んだ老若男女が闊歩する。非日常を日常として、独特の空気が流れる街・南青山にも、実は八百屋さんがある。

おしゃれな店舗で出迎えてくれたのは、槇村賢哉さん。昼間は野菜が軒先に並べられ、まさに街の八百屋さんとしての顔。そして夜は槇村さん自身が腕を振るうレストラン「槇村野菜食堂」がオープン。とびきりの野菜を使用したお任せのコース料理と、ペアリングワインが供される。お店の一角には、ワインセラーならぬベジセラーが備え付けられており、食事を楽しんだ後、いましがた味わった野菜を購入し、自宅でも楽しむことができる。

画像:野菜セラー

美しい野菜が並ぶベジセラー

八百屋とレストランだけでなく、星付きレストランのシェフたち相手に野菜を卸したり、ランチボックスの販売やケータリングを行ったり、時には料理教室を開いたり。東京のど真ん中で野菜と向き合いながら、3足も4足も草鞋を履く店主はどんな人物なのだろうか。

※ 槇村さんに教わる、アスパラガスを味わうシンプルレシピと目利きポイントはこちらの記事

「槇村野菜食堂」「槇村野菜笑店」の店主・槇村賢哉さん

小松菜とほうれん草を区別できないど素人が八百屋を始めたワケ

名だたるシェフたちからの信頼を得て野菜を卸しているという槇村さん。代々続く八百屋の跡取りで、小さなころから野菜の違いを見てきたスペシャリストなのかと思えば、かつては小松菜とほうれん草の違いも分からないほどだったという。

「もともとはホテルマンだったんです。ベルボーイやコンシェルジュなんかをやってました。でも30歳で独立したいと思っていて、何をやろうか考えているときに「エコ」というフレーズに出会ったんです。それが八百屋につながるきっかけですね」

当時、世界が直面する人口拡大や環境破壊などの問題への強い危機感を持っていた槇村さんが、自ら事業を立ち上げようと考えたタイミングで、検索サイトに打ち込んだのは「エコ」という単語。ヒットしたエコロジーショップを訪ねると、そこは八百屋だった。

「なんでエコロジーショップで八百屋なんですかって聞いたら、「我々のような一市民がエコロジーといっても世の中全部を動かせるわけじゃない。少しずつできる活動とか行動を考えると、農薬を使わない農家さんを応援することがエコロジーにつながる」って教えてくれたんです」

農薬を使わないことが、なぜエコロジーにつながるのか。

「農薬を使うと土が死ぬ。雨が降ると悪くなった土が川へ流れて、海に運ばれる。海水が蒸発して雲に含まれた悪いものは、雨に混ざって森や土に還る。そうやって悪いものが循環すれば、地球が死んでいく。採れたものが採れなくなったり、魚や肉に影響したり。それに関わる人間にも悪影響が出る。だから農薬を使わない農家を応援する八百屋はエコロジー活動になるんだって。その話を聞いて、「コレだ!」って思ったんですよね」

野菜のど素人だった槇村さんが、野菜の世界に足を踏み入れたきっかけは、野菜そのものではなく「エコロジー」という概念がきっかけだった。

早すぎたオーガニック まわり道で出会った「料理」という可能性

29歳でホテルを辞めた槇村さんは、東京の福生市で有機野菜の八百屋を開く。

「生産者と流通業者と八百屋が集まってつくられた、身体に良い野菜を広めていこうと独自の厳しい出荷基準を定めているグループがあって、そこから仕入れてましたね。おかげで取り扱ってる野菜は2000年に決まった有機農産物のJAS規格をほとんどクリアしていて、9割以上の野菜に有機JASマークが貼ってありました」

しかし、有機やオーガニックの流れに世間はついてきていなかった。

「ちょっと早かったんですよね。いまだに無農薬、減農薬、有機の違いを答えられる人って、それを専門にしている人くらいでしょ。当時、配達とかもしてそこそこ売ってたんですけど、生活をしていくにはちょっと厳しくて。それで15坪の店は一旦閉めました」

その後、八百屋をやりたいとクレヨンハウスに入るも、配属されたのはレストラン。ホテルでの経験をかわれてのことだった。

「ホテルマンといっても宿泊部門にいたので、レストランは未経験。それでもサービスするにあたって、料理のことをシェフに聞いたりしてたんです。賄いの料理も美味しいから、ますます作り方を聞くようになって。そこで初めて料理を少しやるようになった。八百屋のころは、料理なんて一切してなかったですからね」

素材のプロが、素材がたどるその先の世界に出会ったのだ。

「八百屋をやっているときは有機だから、安全だから、美味しいよ、買ってねって売り方をしてた。それが、食べ方や作り方、組み合わせ方を知って、料理に少しずつ興味が出てきたんですね。それに料理ができると女の子にもてるじゃないですか。それもあって、少しずつ作れるようになっていきました(笑)」

今ではたくさんのお客さんを笑顔にする料理を生み出す。

クレヨンハウスでは料理だけでなく、レストランの運営やサービス、管理の楽しさも覚えた。そうこうしている中で、「暗闇坂 宮下」の宮下氏から声が掛かる。新店舗のオープンや既存店の統括に携わり、予約システムを導入しようと知り合いの会社社長にシステム開発を依頼すると、そのシステム開発にも関わるようになる。

「最初は予約システムに関わっていたんですが、そこの社長が立ち上げる京都野菜のサイトを担当することになって、Webサイトで野菜を売ったり、料理研究家の方にレシピを書いてもらったりしてましたね」

しばらく野菜から離れていたものの、この頃ふつふつと八百屋熱が再燃し始める。

「レストランにも卸していたんです。するとシェフたちが、僕が元八百屋だっていうのを聞きつけて、京都野菜以外も持ってきてって言ってくれて。そこでいろんなシェフと仲良くなりましたね。その流れで予約システムも売ったりして」

再び独立 初めての料理提供はソムリエのワインセミナー

やがて、レストランの卸し業は軌道に乗り、もう一度自分でやろうと独立したのが2014年2月。その少し前から手伝っていたキッチンスタジオでは現在につながる出来事が。

「オープン直後はお客さんがいないのでいろんな企画を立てたんです。その中にソムリエのセミナーがあって、ワインにあわせてショートコースを料理することになった。そのお客さんがほんとに美味しいって褒めてくださったんです。人に対してきちんと料理をしてお金をいただくっていう初めての経験でした」

当時を思い出し、嬉しそうに語る槇村さん。独立後はレストランへの卸しをメインに、月1回の料理教室や企業のコンサルティングで野菜の提案を行っていた。

東京のど真ん中に八百屋開店 大盛況だった併設レストランの売上減少で原点に立ち戻る

2017年4月、知り合いの店の前に八百屋を出すことになり、在庫や木箱を収納するために場所を借りる。そこが現在の「槇村野菜食堂」だ。

翌月にはその場所で弁当販売と八百屋を始めた。同エリアのマーケディングも行う中でシェフと組んだフレンチレストランの話が持ち上がり、内装を全面改装して2017年10月に「naître RESTAURANT」をオープン。

その後も槇村さんは考え続けた。どうあるべきか、何がしたいのか。

「やっぱり八百屋であることが基本だなと。いい野菜を食べてもらいたいとか、いい野菜をたくさん食べることを毎日の習慣にしてほしいとか、そういうことを伝えるためには自分自身がもっと前に出ないといけないなと。そう覚悟を決めて1人でやることにしました」

フレンチレストラン「naître RESTAURANT」は2019年6月に閉店。翌月からスタッフ1人の「槇村野菜食堂」が始まった。

野菜を売るだけではない八百屋の価値

八百屋が基本だと話す槇村さん。いい野菜を食べてもらうには八百屋だけでも十分に思うが、なぜレストラン運営にもこだわるのか。

「八百屋って結構ロスが出るんです。売れ残りは捨てなきゃいけない。それが経営を圧迫するんです。これまでの経験で利益率とかを学んでいくうちに、八百屋だけではやっていけない、加工したり、食べてもらう場所を作らなくちゃいけないと思いました。それに有機だからとか、オーガニックだからというだけで買ってくれるお客さんはほんの一部。美味しいと思ってもらうとか、どれだけレシピを知ってるかが八百屋として一番大事なところなんじゃないかなと思ったんですよ」

スーパーの奥の売り場に魚屋が入っているのにはワケがあると槇村さんはいう。昔の魚屋には販売している魚の料理の仕方を教えてくれるという付加価値があった。それを求めてお客さんは店舗の奥まで足を運ぶ。すると自然と買い回りが期待できるというわけだ。

「八百屋もそれと一緒で、野菜の使い方を提案できなきゃいけない。野菜を売るだけではだめだなと思うんです。実際に八百屋は今、どんどん潰れてしまってる。八百屋としての価値を作らないと。

たとえば、八百屋は毎日野菜を触ってる。触ってるっていうのは八百屋視点でその扱い方をよく知ってるということ。料理をする僕は、また別の視点でも触ってる。切って香りや味の違いを感じたり、どういう風に調理したら美味しいかは、毎日野菜と向き合ってるから分かる。この経験をしっかり得た八百屋になったら強いなって思うんですよね」

野菜を手にした槇村さんの視線は愛おしいものを愛でるように優しくてあたたかい

野菜へのアプローチが180度変化 それでも辿りついた先にあるものは一緒だった

29歳で八百屋の扉をたたいたきっかけと真逆な考えにも聞こえるが……

「野菜や料理を食べて、美味しい!とか楽しい!って感じて、その理由が土づくりとかにこだわって作られてるからだって分かる。こだわって作ってると自然とオーガニックって呼ばれる野菜になりますよね」

野菜と長く向き合う中で「オーガニックだから美味しい」から、今では「美味しいものは結果的にオーガニック」というロジックに軌道修正。本当に美味しい野菜は、そもそも丁寧に、人にやさしく、環境にもやさしく作られている。野菜への入口が真逆になっても、その先にある野菜は同じだった。

「食べることは美味しくて、楽しくなくちゃ」

「『槇村野菜笑店』の名前の通り、お客さんには野菜を食べて笑顔になってもらいたい。美味しいとか楽しいがベースだなっていうのがあるんです。だからそれをきちんと伝えていくためには、やっぱり自分がちゃんと料理を作れないといけないと思う」

「槇村野菜食堂」は八百屋さんのレストランだが、必ずしも野菜がメインとは限らない。肉も魚も使って「野菜が美味しく食べられる料理」を提案している。その理由はこの「美味しい、楽しいを大切にする」という基本的な考えが影響しているのだろう。

ビーガンやグルテンフリーなどという食の嗜好と相性がよさそうな槇村野菜食堂だが、それを売りにしない理由もそこにあるようだ。

「何かを制限して食べないではなくて、これがいいからこれを食べようっていうのが、僕は好きなんですよね。その選択の中にビーガンやグルテンフリーがあってもいいと思うんですけど。もちろん、リクエストがあれば対応しますよ。でもそこに注目されて、そういう方ばかりのお店にはしたくない。いろんなお客さんが来て、食べて美味しいっていうことをスタンダードにやっていきたいなっていうふうには思ってます。野菜嫌いの方が来て、野菜も美味しいじゃんって思ってもらえたら嬉しい」

一線を退いても、野菜の料理の仕方は伝え続ける

これからの八百屋は、野菜を美味しく食べる提案ができなければいけないと重ねて語る槇村さん。すでにその形を叶えているようにみえるが、今後の展望は。

「店周辺のエリアは開発が進んで、7年後までに大きく変わる。それでも、意識が高い方たちが集まるエリアということに変わりはないでしょう。だからやっぱりここを拠点にしつつも、若い方に引き継いで頑張ってもらいながら、僕は純粋な八百屋になっていたいですね。でも、そこで料理の仕方とかやり方は説明できるように、料理教室とかも始めようかなと」

一時野菜から離れていた槇村さんだが、これからは野菜とお客さんとがっちりつなぎ続けてくれるだろう

これからの八百屋像は、お客さんにその食べ方も提案できる形だと語る槇村さん。その目指すところは、奇しくも昔ながらの八百屋スタイルではなかろうか。未来を見据えた結果が、原点回帰とは目から鱗が落ちた気がした。

野菜にも食にも無関心だった若者が、野菜を食べることでお客さんを笑顔にしたい、食べることは楽しいこと、美味しいことだと伝えたいと語る。オーガニックを頭で理解していた若者が、まずは食べてみて美味しかったら、きっとそれには理由があると、今では感覚を大切にしている。

何が彼を変えたのか。多様な経験、ワインセミナーの初めてのお客さんの笑顔、さまざまな要因があるだろう。しかし一番の力の源は、彼が毎日食べる力強い野菜ではないだろうか。丁寧に作られ、大地本来のパワーを吸収した野菜には、人間がもともともっている力や感覚を呼び起こす力もきっとあるのだ。

槇村 賢哉  槇村野菜食堂/槇村野菜笑店 代表
ヒルトン東京・グランドハイアット福岡でホテルマンを経験後、1999年東京都福生市に八百屋を開業。その後、クレヨンハウスにてレストランマネージャー、暗闇坂宮下にて社長室長、IT企業やキッチンスタジオの立ち上げサポートなど経て、2014年2月槇村野菜笑店を立ち上げ独立。2017年5月、外苑前に「槇村野菜笑店」を開業。八百屋の他、企業とのコラボ事業、ケータリング事業フレンチレストランなど、八百屋の垣根を超えたフィールドに挑戦。2019年7月から同店でオーナー槇村がおもてなしする。槇村野菜食堂を開店

槇村野菜食堂/槇村野菜笑店
住所:東京都港区南青山2-20-1 1階
電話:03-6863-6806
定休日:月曜日、日曜日
営業方式:1日1組貸切営業(2名様~6名様)、おまかせ料理にペアリングワインのコースを提供
URL: https://makimurayasaishoten.tokyo/