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イラスト:パスタ

最もクラシックな食べ方は”生”を”焼いて”?乾燥されることで世界に拡がったパスタの歴史|食の起源

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イタリア各地を旅行すると、レストランのメニューに聞いたこともないパスタの名前が多々登場する。非常に限定された土地で作られる独特の形状のパスタがあったり、名前が違っても同種のパスタが隣の州に存在したりするのである。われわれ日本人にとって最も馴染んでいるパスタはスパゲッティであるが、本場のイタリアでは個々の嗜好もあってパスタの選択で揉めることも多いのだ。

そんな愉しいパスタの歴史を紐解いてみよう。

イラスト:パスタ

実は難しいパスタの起源さがし

イタリア料理においてはもはや普遍的な存在となっているパスタ。イタリア料理の普及とともに、パスタも全世界に広がって各地で独自の発展を遂げているといってよいだろう。

ところが、このパスタの起源がいずれにあるのかは諸説あって明確ではないのである。もちろん、古代には小麦粉と水の組み合わせで作る食べ物が中国やエジプトでも存在していたことが確認されている。ある説によれば、人類はすでに9千年前に豆類や穀類を使用したパスタ状のものを食べていたともいわれているのである。

地中海世界だけ見ても、古代のエトルリア人、ギリシア人、ローマ人は、まちがいなくこの種の「パスタ」を食していた。

たとえば、イタリア人が家族で集合して食事をするときの定番に「ラザニア」がある。このラザニアは、言葉自体がラテン語から派生している。1世紀頃に書かれたとされる美食家アピシウス作『料理帖(De re coquinaria)』には、「laganum」とか「laganon」と呼ばれたラザニアの先祖が記されている。

ちなみに、ローマ近郊にあるユネスコの世界遺産チェルヴェテリの遺跡は、紀元前のエトルリア時代のものである。この遺跡から見つかった調理道具を使用すれば、見た目もかなり上等のラザニアができることが確認されているそうだ。

お湯で茹でて食べるパスタの誕生は12世紀

古代に存在したであろうさまざまなパスタは、現在でいうところの「生パスタ」であり、他の食材と混ぜて窯で焼くのが主流であった。

お湯で茹でてから食べるパスタの普及は意外と遅く、12世紀になってからである。沸騰したお湯で茹でるパスタについては、中国からマルコ・ポールが持ち込んだというのが通説になっていた時代もあるが、現在はこれは否定されることが多い。いわゆる、乾燥パスタのお目見えは文献上では1154年。シチリア王ルッジェーロ2世に仕えていたアラブ人の地理学者イドリースィーなる人物が、シチリア島のパレルモ周辺では「triyah」と呼ばれる糸状のパスタが数多く生産され、シチリア島内のみならずイタリア半島南部に輸出されている、と記しているのが最初である。ということは、輸出に耐えうる保存性の高いパスタが、中世に生まれたことを物語っている。これは12世紀の話であるが、歴史学者のマッシモ・モンタナ―リによれば、乾燥パスタと思しき食材が実は9世紀のアラブ世界に認められるのだという。つまり、アラブ世界と密接な関係にあった南イタリアが、イタリアンの真髄ともいえる乾燥パスタ誕生の土壌となったのであろう。

とはいえ、南イタリアは「マーニャ・グレチア」と呼ばれたギリシア人による植民地時代から、良質な小麦の大生産地として知られていた。加えて、地中海の乾いた太陽と空気、現代も風力発電の羽根があちこちに設置されているほどの気候状況を考えても、乾燥パスタ生産の条件としては完璧だったのである。

現在も、南イタリアほど空気が乾燥しておらず日照時間も少ない北イタリアでは、卵を使用した生パスタの生産が盛んなことも興味深い。

北部イタリアにも普及した乾燥パスタ

『東方見聞録』を残したマルコ・ポーロは、1295年にイタリア半島に帰還している。学者によっては、「スパゲッティ」の形状は彼が中国から持ち込んだ食材の影響を受けたとすることもあるようだ。

いずれにしても、中世からルネサンスにかけて海上貿易が盛んであったこともあり、乾燥パスタは南イタリアから北上するのである。とくに、シチリア島にあるトラ―パニと北イタリアのジェノヴァ間の交易は盛んで、乾燥パスタもこの航路を通って普及した可能性が高い。実際、バジルの葉を原料とする「ペースト・アッラ・ジェノヴェーゼ」と「ペースト・アッラ・トラパネーゼ」にも、南北の港のさかんな交流を思わせる共通性があるのだという。

スパゲッティと並んで日本人にもなじみがある「マカロニ」こと「マッケッローニ」は、1279年にジェノヴァ人によって記録されたのが最初である。

ルネサンスのカリスマシェフたちが残したパスタのレシピ

こうしてイタリア半島中に普及したパスタは、当時の王侯貴族つき料理人たちによってたくさんのレシピが残されることになった。

その1人バルトロメオ・スカッキによれば、パスタはあらゆる肉と相性がよいと記されている。卵、バター、チーズと合わせてもおいしく、また変わったところではシナモンや砂糖をまぶして食べるレシピもある。

そして、17世紀になるとナポリはスペイン王国の支配下にはいる。これによって人口が大幅に増加し、下層階級のお腹を満たすことが難しい状況になった。パンと肉の供給が人口の増加にまにあわなくなったナポリで普及したのが、「道端でパスタを食べる人々」を意味する「マンジャマッケッローニ」である。フォークも使わずに、手でパスタを食べるナポリの子どもたちの図はナポリの風物詩として定着する。王侯貴族が食べていたパスタは、実は庶民のお腹を満たすストリートフードでもあったのである。

パスタとトマトとの遭遇

ところで、パスタといえばトマトというほど強い関連を持つ2つの食材であるが、その遭遇はかなり遅い。

1492年にコロンブスによってアメリカ大陸が発見され、トマトが南米からヨーロッパにもたらされた後も、この見たこともない赤い実はなかなか食卓に上るまでに時間がかかった。

1692年にナポリでトマトを使ったレシピが考案されたものの、パスタとの組み合わせは1803年まで待たなくてはならない。1803年当時のパスタとトマトのレシピはしかし、トマトのスープに小粒のパスタを入れたものであった。

パスタにトマトソースをからめるという料理は、「近代のアピシウス」の異名を持つフランチェスコ・レオナルディによって考案され、絶大な人気を博すことになった。その後、1837年にナポリ方言で記述されたイッポーリト・カヴァルカンティのレシピ集に、「トマトソースのスパゲッティ」が登場するのである。

コロナ禍によるロックダウン中のイタリアでも、「とりあえずパスタとトマトソースがあればなんとかなる」と考えるイタリア人は多かった。かくも国民食として定着しているのが、トマトソースのパスタなのである。これに、パルミジャーノ・レジャーノ・チーズを山ほど削ってかけたパスタは、庶民にもお金持ちにも平等の幸福感を与えてくれる料理としてイタリアにおいてその地位は不動である。

日本とパスタの関係は?

日本にパスタがもたらされたのは、幕末のことであった。当時の外国食材としては珍しく、長崎の出島経由ではなく横浜の外国人居留地に到来したという。

明治時代には、富裕な食通たちがパスタを口にしたという記録もあるのだが、一般庶民にはまだまだ未知の食材であったことだろう。

スパゲッティの販売が始まったのは、1928年である。当時は、「スパゲッチ」と呼んでいたという。マカロニは、日清製粉によって1955年に販売されている。海外旅行もままならまかった時代、普及したパスタをご当地の食材に合わせて料理するのはごく自然のことであっただろう。大根おろしや明太子を使った和風パスタや、生クリームを使用したカルボナーラをおいしいと思ってなにが悪かろうか!