朝御飯(林芙美子)| 美味しい文学
「美味しい文学」では、読むとお腹がすく、食いしん坊のための名作文学をご紹介します。今回取り上げるのは、林芙美子の朝御飯(1939年初出)。第二次世界大戦前にロンドンやパリに滞在した経験を持つ、ハイカラな筆者ならではの朝御飯論。
倫敦で二ヶ月ばかり下宿住いをしたことがあるけれど、二ヶ月のあいだじゅう朝御飯が同じ献立だったのにはびっくりしてしまった。オートミール、ハムエッグス、ベーコン、紅茶、さすがに閉口してしまって、いまだにハムエッグスとベーコンを見ると胸がつかえそうになる時がある。
日本でも三百六十五日朝々味噌汁が絶えない風習だ。英国の朝食と云うのは、日本の味噌汁みたいに、三百六十五日ハムエッグスがつきものなのだろうか。但し倫敦のオートミールはなかなかうまいと思った。熱いうちにバタを溶いて食塩で食べたり、マアマレイドで味つけしたり、砂糖とミルクを混ぜて食べたりしたものだった。
巴里では、朝々、近くのキャフェで三日月パンの焼きたてに、香ばしいコオフィを私は愉しみにしていたものである。ーー朝御飯を食べすぎると、一日じゅう頭や胃が重苦しい感じなので、巴里的な朝飯は、一番私たちにはいいような気がする。
淹れたてのコオフィ一杯で時々朝飯ぬきにする時があるが、たいていは、紅茶にパンに野菜などの方が好き。このごろだったら、胡瓜をふんだんに食べる。胡瓜を薄く刻んで、濃い塩水につけて洗っておく。それをバタを塗ったパンに挟んで紅茶を添える。紅茶にはミルクなど入れないで、ウイスキーか葡萄酒を一、二滴まぜる。私にとってこれは無上のブレック・ファストです。
徹夜をして頭がモウロウとしている時は、歯を磨いたあと、冷蔵庫から冷したウイスキーを出して、小さいコップに一杯。一日が驚くほど活気を呈して来る。とくに真夏の朝、食事のいけぬ時に妙である。
夏の朝々は、私は色々と風変りな朝食を愉しむ。「飯」を食べる場合は、焚きたての熱いのに、梅干をのせて、冷水をかけて食べるのも好き。春夏秋冬、焚きたてのキリキリ飯はうまいものです。飯は寝てる飯より、立ってる飯、つやのある飯、穴ぼこのある飯はきらい。子供の寝姿のように、ふっくり盛りあがって焚けてる飯を、櫃によそう時は、何とも云えない。味噌汁は煙草のみのひとにはいいが、私のうちでは、一ヶ月のうち、まず十日位しかつくらない。あとはたいてい、野菜とパンと紅茶。味噌汁や御飯を食べるのは、どうしても冬の方が多い。
これからはトマトも出さかる。トマトはビクトリアと云う桃色なのをパンにはさむと美味い。トマトをパンに挟む時は、パンの内側にピーナツバタを塗って召し上れ。美味きこと天上に登る心地。そのほか、つくだ煮の類も、パンのつけ合せになかなかおつなものです。マアマレイドは、たいてい自分の家でつくる。私は缶詰くさいマアマレイドをあまり好かないので、買うときは瓶詰めを求めるようにしている。
ありがたいことに、このごろ、酢漬けの胡瓜も、日本でうまく出来るようになったが、あれに辛子をちょっとつけて、パンをむしりながら砂糖のふんだんにはいった紅茶をすするのも美味い。そのほか私の発明でうまいと思ったものに、パセリの揚げたのをパンに挟むのや、大根の芽立てを摘んだつみな、夏の朝々百姓が売りに来るあれを、青々と茹でピーナツバタに和えてパンに挟む。御実験あれ。なかなかうまいものです。ーー梅雨時の朝飯は、何と云っても、口の切れるような熱いコオフィと、トオストが美味のような気がします。
朝々、バタだけはふんだんに召上れ。皮膚のつやがたいへんよくなります。外国では、バタをつかうこと日本の醤油の如くです。バタをけちけちしてる食卓はあまり好きません。――日曜日の朝などは、サアジンとトマトちしゃのみじんにしたのなどパンにもよく、御飯にもいい。
朝々のお茶の類は、うんとギンミして、よきものを愉しむ舌を持ちたいものだ。茶の淹れかたも飯の焚きかたといっしょで心意気一つなり。コオフィにはなまぐさものの類、魚、野菜何でも似合わないような気がして、たいていの、ややこしい食事の時は紅茶にしている。但し、肉類をたべたあとの、つまり食後のコオフィはうまいものです。食事と茶と添う時は、まず紅茶の方だろうと思うけれど、如何でしょうーー。
このあいだ高見順さんの「霙降る背景」と云う小説を読んでいたら、郊外の待合まちあいで朝御飯を食べるところが描写してあった。なかなか達者な筆つきで、如何にも安待合の朝御飯がよく出ていたが、女主人公が、御飯と茶の味でその家の料理のうまいまずいがわかると云うところ、私もこれには同感だった。
私は方々旅をするので、旅の宿屋でたべる朝飯は、数かぎりもなく色々な思い出がある。まず悪口から云えば、いまでもはっきり思い出すのに、赤倉温泉に行って、香嶽楼と云う宿屋へ泊った時のことだ。ここは出迎えの自動車もあって、一流の宿屋だときいたのだけれど、朝飯にふかし飯を出されて、吃驚してしまった。ちょうど五月頃の客のない時で御飯もいちいち炊けないのかも知れないけれど、二、三日泊っている間に、私は二、三度ふかし飯を食べさせられて女中さんに談判したことがある。どう云うせいなのか、これは三、四年前のことだのに、この無念さはいまだに思い出すのだから、食いものの恨みと云うものも、なかなか根強いものだと思う。――朝飯にかぎらず、食事のまずいのは東北。しかも樺太あたりに行くと、朝からなまぐさい料理を出される。
朝飯がうまかった思い出は、静岡の辻梅と云う旅館に泊った時だ。ここでは何よりもまず茶のうまいのが愉しい。京都の縄手にある西竹と云う家も朝御飯がふっくり炊けていてうまかった。それから、もっとうまいのに、船の御飯がある。船に乗る度におもうのだけれど、大連航路の朝の御飯はつくづくうまいと感心している。船旅では朝のトーストもなかなかうまいものだ。
パンで思い出すのは、北京の北京飯店の朝のマアマレイド。これは誰が煮るのか、澄んだ飴色をしていて甘くなく酸っぱくなく実においしい。
私はめったに友人の家へ泊ったことがないけれど、鎌倉の深田久弥氏の家へ泊った時の朝御飯は、今でも時々、うまかったと思い出す。奥さんはみかけによらぬ料理好きで、ちょいちょいと短時間にうまいものをつくる才能があって、火鉢でじいじいと炒めてくれるハムの味、卵子のむし方、香のもの、思い出して涎が出るのだから、よっぽど美味かったのに違いない。
私は、朝の肉は気にかからないが、朝から魚を出されるのは閉口。中国地の魚どころへ行くと、朝からしゃこの煮つけなんか出される。朝たべられる果物は躯に金のような作用をするそうだけれども、全く、中国地でありがたいものは、果物がふんだんにたべられること。私はこのごろ、朝々レモンを輪切りにして水に浮かして飲んでいるけれど運動不足の躯には大変いいように思う。いまごろだと苺の砂糖煮もパンとつけあわせて美味いし、いんぎんのバタ炒り、熱い粉ふき藷に、金沢のうにをつけて食べるのなど夏の朝々には愉しいものの一つだと思う。うには方々のを食べてみたけれど、金沢のうにが一番うまいと思った。これは朝々パンをトーストにして、バタのように塗って食べるのだけれど、これは、ちょっとうますぎる感じ。――食べものの話になると、もっともっと書きたいのだけれど一息やすませて貰って、そのうち、うまいものをたべある記でも書きましょう。
林 芙美子(1903年-1951年)
福岡県生まれ。1920年に発売された「放浪記」が評判を呼び、人気作家に。1931年から翌32年にかけてパリ、ロンドンに滞在。日中戦争や第二次世界大戦中は、従軍記者として南京、武漢、シンガポール、ジャワ島にも赴いた。1948年には「晩菊」で女流文学賞受賞。1951年、心臓麻痺により47歳の若さで急逝。