ローマ時代には身代金代わりにも。”異常に”愛され、戦争まで引き起こしてきた胡椒の歴史|食の起源
私たちがキッチンや食卓で、気軽に使用する胡椒。
今でこそ胡椒はほぼ毎日口にするスパイスであるが、胡椒は実は超富裕層のステイタスシンボルであった時代が長いのである。エジプトのラムセス二世に始まり、大航海時代の欧州の列強各国まで、西洋の人々が胡椒を求めること非常であった。
東洋ではどうであろうか。我が国の和食においては、伝統的に胡椒を使ったレシピは少ない。しかし、はるか昔天平時代には、胡椒は奈良の都に到来していたのである。つまり胡椒は、東西の世界を縦横無尽に流通してきた歴史を持つ。
先史時代のインドに起源をもつ胡椒が、わたしたちのキッチンにたどりつくまでの変遷をみてみよう。
ラムセス2世のミイラの鼻腔から発見された胡椒
胡椒は、インドの原産である。インドにおいては、およそ4,000年前の先史時代から胡椒が流通していた。当時から大変な貴重品であり、黒色の金と呼ばれていたほか、通貨としても使用されていたという。
胡椒がこれほど高価であった理由は、冷蔵技術などなかった時代に防腐剤や薬品として扱われていたことによる。欧州では地質により胡椒が育たなかったこともあり、このスパイスはまさに世界を変えるほどの影響力を持つようになるのである。
このように高価であった胡椒は当然、富裕層のみが味わえる貴重品であった。
たとえば、紀元前1212年に亡くなったエジプト最強の王ラムセス2世のミイラの鼻腔からは、胡椒が見つかっている。これはおそらく、ミイラの防腐処理のためであったのだろう。
マケドニアのアレクサンダー大王が紀元前4世紀にアジアに到達したのを機に、胡椒を西の世界へと運ぶルートが開通したといわれている。古代ギリシア及び古代ローマの社会では、胡椒の所有はステイタスシンボルでもあった。
西暦1世紀の博物学者大プリニウスは、富裕なローマ人たちがインドから輸入した胡椒の消費のために年間5万セステルティウスも費消すると苦言を述べている。ちなみに、当時は小麦6.5kgが3セステルティウス であったから、ローマ人がどれほど胡椒を愛好していたか数字でもよくわかる。
胡椒がいかに珍重されていたかは、西暦408年に起こったある事件にも反映されている。
ローマを包囲した西ゴート王アラリックが、ローマの町を解放するために要求した「身代金」のひとつが、なんと胡椒3,000kgであったというのである。
欧州の商業を左右した胡椒
中世になっても、胡椒をはじめとする香辛料への希求はヨーロッパでは高まるばかりであったようだ。
1,300年から1,400年代に残されている料理のレシピを検証すると、当時の貴族の宴会で供される料理の85%には、胡椒が使用されているという。
これほどの胡椒の需要に応えたのは、まずヴェネツィア共和国である。海の共和国といわれたヴェネツィアは、胡椒をはじめとする香辛料の売買で巨万の富を築くのである。
大航海時代になると、ボルトガルもこの商売に名乗りを上げる。その後は、欧州での勢力をそのまま反映するように、イギリスやオランダの独擅場となった。ヨーロッパ各国がアジアの覇権をめぐって争ったこの時期の抗争を「スパイス戦争」と 呼ぶことでも、胡椒や香辛料への渇望がうかがえる。
それまで超がつく貴重品とされていた胡椒の価格が下がるのは、18世紀から19世紀にかけてである。 もはや胡椒は珍しいスパイスではなくなったのが主な要因であった。
フランス料理の隆盛と胡椒の低迷
胡椒がそれほど重要視されなくなった理由には、フランス料理の隆盛も上げられる。
19世紀、フランス革命を経て政治的にも文化的にもヨーロッパの中心的存在となったフランスでは、食卓においてもスパイシーな料理よりもエレガンスが重視されるようになった。そして、この傾向が欧州全体にも広がったのである。
需要が減ったことで、胡椒の価値も価格も下がっていったのであろう。
東洋における胡椒
インドから西に向かった胡椒は、このように珍重されて戦争まで引き起こす事態となった。
それでは、東アジアにおける胡椒はどのような変遷をたどったのであろうか。
そもそも、日本における名称「胡椒」とは中国での呼び名をそのまま輸入している。中国では、西方にある国、つまりインドのことを「胡国」と呼んでいた。胡椒という名称も、ここから生まれている。
胡椒は、8世紀に中国から日本に伝わったとされている。正倉院御物のなかには、丁子、肉桂と並んで胡椒が収められている。「種々薬帳」に記されていることでもわかるように、これらの香辛料は当時、薬物として扱われていたのである。
胡椒は主に、肉食文化の中で愛されてきた歴史がある。肉食が普及しなかった日本では、胡椒も人々の食生活に浸透することがなかったようである。
しかし、いくつかの足跡は残っている。
たとえば、1643年発刊『料理物語』には「にうめん」の項には胡椒と山椒をかけて食べると記されている。
1802年に世に出た『名飯部類』には、「胡椒飯」なるものが存在する。 炊き立てのご飯に胡椒を挽いて、だし汁をかけた料理だという。今食べても、おいしそうな一品である。
また、うどを料理するときにも胡椒の辛味を活用していたようである。1805年刊行の『素人包丁』には、「うど焚出し」という料理が残る。これは、酒と醤油で薄く味付けしたうどに、胡椒を挽いて食べる料理である。
ちなみに、日本のレシピに頻々と登場する「塩、コショーを少々」というフレーズは、1952年にS&Bが販売開始した「家庭用コショー」の存在なしには語れないだろう。今でこそ、粒胡椒を挽いてその香気を愛する人は増えたものの、昭和の時代の胡椒は卓上に常に置かれていたあのコショーが主流であったのだから。
現在の胡椒の栽培地
胡椒は現在、ベトナム、インド、インドネシア、マレーシア、カンボジア、そしてアフリカなどで栽培されている。熱帯性植物である胡椒は、高さが5~7メートルの樹木から収穫されている。
収穫後の処理法の相違によって、ブラックペッパーやホワイトペッパー、グリーンペッパーなどの呼称がある。
キッチンにある胡椒は、料理をする際にあまり意識もしないで使用していることも多い。しかし、そのかぐわしい香りと長い歴史に敬意を表して、胡椒の味わいを主役にした料理を楽しむのも一興かもしれない。
イタリアの片田舎で書籍に埋もれて過ごす主婦。イタリアに住むことすでに十数年、計画性なく思い立ったが吉日で風のように旅行をするのが趣味。美術と食文化がもっぱらの関心ごとで、これらの話題の書籍となると大散財する傾向にあり。食材はすべて青空市場で買い込むため、旬のものしか口にしない素朴な食生活を愛す。クーリエ・ジャポン、学研ゲットナビ、ディスカバリーチャンネルなど寄稿多数。