氷屋ぞめき(古川緑波)| 美味しい文学
「美味しい文学」では、読むとお腹がすく、食いしん坊のための名作文学をご紹介します。今回取り上げるのは、古川緑波の氷屋ぞめき(1959年初出)。アイスクリームやかき氷が食べたくなる、むし暑い夏にぴったりの作品です。
近頃では、アイスクリームなんてものは、年がら年中、どこででも売っている。そば屋にさえも、アイスクリームが、あるという。
私たちの子供のころは、アイスクリームなんてものは、むろん夏に限ったものだったし、そうやたらに売っているものではなかった。
中流以上の家庭には、いまの電気洗濯機がある程度に、アイスクリームをつくる機械があって、時に応じて、ガラガラとハンドルを廻して、つくったものである。
そのころのアイスクリームってもの、どういうものか、今のより、ずっと黄色かった。卵がうんと入っているように見せて、そんな色を着けたのかも知れない。
映画館の中売りが売って歩いたのは、正にその黄色で、牛乳も何も入っていない、名前も、アイスクリンだった。
アイスクリームよりも、もうちょっと安いのが、ミルクセーキ。
これはたいていの氷屋に、一種の運動機具のごとき機械があってこれも手廻しで、註文に応じて、つくった。
アイスクリームも、ミルクセーキも、その名は、そのまま今も残っているが、味は全く違ったものになった。昔のは、もっと原始的な味だったが、素朴でよかった。
硝子ガラスの玉をつないだ、氷屋ののれんも、今はあんまり見られなくなったが、昔は、氷屋ののれんから夏が来たものだった。
大阪の氷屋と東京のと、どう違うか?
東京では、コップの底に、タネモノ(シロップなり小豆なり)を入れて、その上へ、氷をかいて積み上げる。
大阪では、(小豆なんかは、やっぱり底にあったかな?)氷をかいて山にして、その上からシロップをかける。
見た目は、赤や青で美しいが、私たちは、やっぱり東京流がいい。
大阪といえば、ミルキンというのがあるのを御存知かしら。ミルキンとは、ミルク金時の略。金時とは、東京でいう氷小豆だ。その氷小豆の上から、ミルク(牛乳のところもあるが、コンデンスミルクを溶いたものが多い)を、ジャブジャブと、かけたもの。
こいつは、くどいだろうと思ったが、ちょっと試みると、確かにくどいけれど、うまい。
でも、お代りしたら、きっと腹を下すだろうと思った。が、意地きたなしの僕は、お代りをした。そして、予想通り腹下しをした。
大阪の氷屋に、「すいと」と書いてあった。
「すいと」とは何だろう。すいとんのことでもなさそうだしーーと、きいてみたら、ところてんだった。
古川 緑波(1903年-1961年)
東京都生まれ。雑誌「映画時代」の記者であったが、菊池寛の勧めで役者に転じる。のちに東宝に引き抜かれ、1935年には「ロッパ一座」を結成し、「ガラマサどん」で人気を博す。哀愁漂う爆笑劇を次々に発表したことから「丸の内の笑王」と呼ばれ、第二次世界大戦末期に全盛を誇った。