母乳の代わりに薄めたビールを?古代人が愛したビールが我々に伝わるまで|食の起源
ヨーロッパというと、まっさきに頭に浮かぶアルコールはワインである。もちろん、ドイツやアイルランドやベルギーのビールは日本でもよく知られているが、南欧でもビールの生産は盛んなのである。それもそのはず、ビールという飲み物は文明の誕生とともに人類にもたらされた食文化なのである。その歴史は、なんと5,000年もさかのぼることになる。
古代人たちがこよなく愛したビールは、われわれの時代にたどりつくまでにどんな変遷をたどったのであろうか。
嗜好品ではなく必需品としてのアルコール
一説によると、コーヒーや紅茶が普及する以前のヨーロッパは、生水を飲むことはすなわち伝染病を誘発することが多かったという。当時の衛生状態を考えれば当然かもしれない。したがって、ヨーロッパの人々はある時期まで老若男女が水の代わりにアルコール飲料を摂取していたとも言われている。
アルコールを子供のころから摂取していた人々は常に酩酊状態であった。コーヒーや紅茶が普及することによって人々は正気になり、「産業革命」が生まれることになった、というジョークまである。ビールが古代より人々に愛されたのは、美味であることのほかに病気を予防するための知恵であったともいえるのである。
ビールをこよなく愛した5,000年前のシュメール人たち
イタリアの小学校で「歴史」の教科書に真っ先に登場する文明、それがシュメール文明である。「鋤」を発明し灌漑を整備し、農業を盛んにしたシュメール人たちのビール造りは、考古学者によれば5,000年前までさかのぼるという。
楔形文字で記録を残したシュメール人たちのビールは、大別して4種あったという。
・一般的な大麦で作った「bi-se-bar」
・通常の黒ビール「bi-gig」
・上質な黒ビール「bi-gig-dug-ga」
・最高の品質を誇るビール「bi-kal」
いずれの文明にも共通していることだが、アルコールは宗教とは切り離しては考えられない。シュメール人たちもビールを、宗教的な儀式において飲用していた。これまた興味深いことであるが、葬儀とアルコールも密接な関連があることでは古代も現代も同じである。シュメールの人々は、葬儀の際にビールを飲んで故人の徳を称えたとされているのである。
また、シュメール神話においては、豊饒の女神であるイシュタルによってビールが人類にもたらされたと信じされていた。つまり、イシュタルを祀る際にはビールは不可欠であったのだろう。シュメール人たちのビールは、当然現在のそれとは様相を異にする。沈殿物が多かった当時のビール、彼らはストローを使って飲んでいたともいわれている。
エジプトでも国民的飲み物であったビール
ビールはやがて、中東に普及していく。
灼熱の国エジプトのビール造りのレシピを見てみると、大麦で作ったパンを水に浸して発酵させるという大胆な製法である。
エジプトにもさまざまな種類のビールがあったようだが、考古学者の研究ではアルコール度は平均して12度ほどであったという。ビールは飲み物としてだけではなく薬用としても使用され、また子供が生まれて母乳が足りないときには水で薄めたビールを飲ませていたというから驚きである。
地中海世界におけるビールは?
地中海世界におけるアルコールといえばワインであるが、ギリシア人もローマ人もビールは大好きであったようだ。麦から作るビールは豊饒の証であったから、ギリシアでは女神デメテルの祭日にビールが特に好まれていたようである。
古代ローマの世界にも、ビールの痕跡は残っている。
博物学者であったプリニウスの著作には、「Cerevisia」と呼ばれるビールに触れられているし、ドミティアヌス帝は帝国内の飢饉の際、ガリアのブドウ畑を麦畑に代える法律を施行している。これによって、ビールの生産が著しく伸びたという。余談であるが、古代ローマのビール「Cerevisia」は、「出芽酵母」を意味する学名「Saccharomyces cerevisiae」の語源にもなっている。
また、1世紀の軍人グナエウス・ユリウス・アグリコラがブリタニアに遠征したとき、3人のビール醸造人を首都ローマに連れて帰ってきたという伝説もある。
パンか、はたまたビールか?
ローマ帝国も末期になり経済力が衰えてくると、僧たちの識字率が高いことや労働力の確保が安易であった修道院は、あらゆる技術の担い手として社会の中で重要な役割を果たすようになったためである。技術革新も、それぞれの修道院が次世代の僧たちに伝統的な製法を伝えることで可能になったといって過言ではない。ビールも例外ではなかった。現在も、修道院で生産される物品の中には、ビールの銘酒が多いのもこの伝統があるためである。
それまでは麦が原料であったビールが、ホップを使用するようになったのは一にも二にも修道院の功績である。724年に、ミュンヘンにあったヴァイエンシュテファンの修道院がホップを使用し始めたのを皮切りに、この慣習が欧州の修道院に広がった。我々が知るビールの苦みや香りは、この時に誕生したといえるだろう。このビールは、病人や巡礼者にふるまわれていた。
また、5世紀に生きたアイルランドの聖女ブリギットは、水をビールに代えるという奇跡を起こしたと伝えられている。キリストは、水をワインに代えた奇跡を起こしたが、アイルランド出身の聖女は土着のアルコールにこだわるところが面白い。
シャルルマーニュもビールを愛し、王国内にビール醸造の銘酒を招聘していたという記録がある。ところが、15世紀に断続的な飢饉に見舞われたフランスでは、小麦を使ったビールの製造が禁止される法が発布されている。この時ばかりは、ビールよりもパンが優先されたのである。
ビールの国イギリスとドイツでは?
ビールが国民的な飲み物となっているイギリスやドイツはどうであろうか。
イギリスでは、「エール」と呼ばれたビールは、もっぱら家庭の主婦が作る飲み物で、教会の祭日に信者たちにふるまわれていた。ちなみに、イギリスにホップを原料とするビールが普及するのはだいぶ後になってからである。
ドイツはというと、1516年にビールに関する法令「ビール純粋令」が布告されている。これによって、ビールと名乗るには原材料が厳しく制限されたのである。これはもちろん、パンの原料となる小麦やライ麦を使用しないという目的もあった。
この法令、現行の法律として今も存在している。
近代のビールと日本との関係
19世紀に入ると、ビールの製造もテクノロジーやサイエンスの恩恵を受けるようになる。
ドイツでは冷却機が発明され、ビールの発酵が年中可能になった。フランスの細菌学者ルイ・パスツールによって低温加熱殺菌法が生まれて、ビールは長期の保存に耐えるようになったのである。またデンマークでは、酵母の純粋培養法の研究が進み、ピュアなビールが生まれるきっかけとなった。
日本にいつ頃ビールが伝わったのかには、諸説ある。鎖国をしていた江戸時代、唯一オランダ人と中国人が交易のために出入りが許されていた出島に、オランダ人がビールをもたらしたという説が有力である。また、黒船がビールを日本に持ってきたという説もある。
いずれにしても、18世紀後半から19世紀に、ビールが日本に到来したことはまちがいないようである。明治政府が西洋に遣わした使節団が、ヨーロッパのビールを視察した記録も残る。明治初期に、アメリカ人によって初めて日本に醸造所が作られ、明治14年には日本人の口に合ったビールの製造が開始している。
当時はまだまだ一部の人の口にしか入らなかったビールは、昭和に入って大衆的な飲み物へと変化を遂げたのである。
かくも長き歴史を持つ食文化であるビールを我々も日常的に摂取しているのであるから、ビールは人類の歴史と密接にかかわり続けている文化遺産といえるだろう。
イタリアの片田舎で書籍に埋もれて過ごす主婦。イタリアに住むことすでに十数年、計画性なく思い立ったが吉日で風のように旅行をするのが趣味。美術と食文化がもっぱらの関心ごとで、これらの話題の書籍となると大散財する傾向にあり。食材はすべて青空市場で買い込むため、旬のものしか口にしない素朴な食生活を愛す。クーリエ・ジャポン、学研ゲットナビ、ディスカバリーチャンネルなど寄稿多数。