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イラスト:アイスクリーム

アイスクリームの原型は旧約聖書にも。アレクサンダー大王も魅了した甘くて冷やっとした食感の歴史|食の起源

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老若男女に愛されるアイスクリームは、スーパーで購入する安価なものから専門店で食べる本格派まで範疇が広い。そのアイスクリームの歴史を紐解くと、古代の人々が愛していたシャーベットにたどりつく。アイスクリームがそう呼ばれる由縁には、クリームという乳製品が必須であるが、氷菓に牛乳を加えるのが一般的になったのは18世紀である。アイスクリームはいかにして、かくも世界中で愛される食品となったのだろうか。

イラスト:アイスクリーム

アイスクリームとジェラートの違いは?

アイスクリームの歴史を鑑みると、まずジェラートは無縁ではいられない。日本にアイスクリームという名の食文化が根づいたのは、アメリカ経由で到来したゆえである。しかしまずこれにはジェラートという親分格が存在し、それがアメリカでアイスクリームと呼ばれるようになったのである。

この2つの食べ物の相違は、乳脂肪の量である。日本において「アイスクリーム」と名乗るには、乳固形分15%以上その内8%は乳脂肪であることが法令で定められている。一方ジェラートは、乳脂肪が5%前後に抑えられている。つまり、日本では「アイスミルク」というカテゴリーに相当するのが、ジェラートなのである。脂肪分が少ないジェラートは、本国イタリアではジャンクフードなどよりよほど体に良い食べ物とされていて、盛夏のお昼は質の良いジェラートでもよいという医者もいるくらいである。

ちなみに、「ジェラート」とは「凍る(gelare)」を意味する動詞から派生した言葉であり、その意味でもアイスクリームと共通するものがある。

旧約聖書に登場する世界最古?の氷菓

まず、アイスクリームの歴史において最も古い記述とされているのが旧約聖書である。『創世記』の中で、イサクがアブラハムに「雪とヤギの乳を混ぜたもの」を飲ませたという部分が、それにあたる。

自然の雪や氷を利用した氷菓は、古代のエジプト人、バビロニア人、ギリシア人、ローマ人たちが口にしていたものであった。とはいえ、雪の確保や運搬、保存の手間を考慮すれば、ごく限られた富裕層の贅沢品であったことはまちがいない。

また、紀元前3,000年にはアジアの一部に、氷菓と思しき食べ物があったと主張する学者もいる。とくに、放牧の民が主流であったモンゴルには、ミルクを使ったアイスクリームが存在していた可能性は高いといわれている。

戦場の男たちを虜にしたシャーベット

アイスクリームの歴史の中で必ず登場する有名人には、アレクサンダー大王やシャルルマーニュ(カール大帝)がいる。

アレクサンダー大王はインド遠征中にかならず氷の用意を部下に命じたというし、シャルルマーニュは必ず氷室を携行していたという記録が残っているのである。戦場を駆け回った男たちにとって、冷たく甘いシャーベットはことのほか美味しかったのであろうか。

ちなみに、当時のシャーベットの甘味ははちみつや果物の果汁でつけられていた。はちみつから砂糖に代わる経緯には、アラブ人の文化が無視できない。甘さがはちみつから砂糖に変わることで、当時の氷菓はかなり軽やかな食感になったという。

このアラブ文化の影響に加え、エトナ火山で集められる雪がことのほか美味しかったのか、中世においてシャーベットはシチリア島で大流行をするのである。

メディチ家のおひざ元で氷菓を作った菓子職人と建築家

シチリアで有名になった氷菓は、洗練された文化で知られるフィレンツェにも到来する。とくに有名であったのは、メディチ家のカテリーナ(フランスではカトリーヌ・ド・メディシス)が、フランス王家にお輿入れした時に随行させた菓子職人ルッジェーリである。ルッジェーリによって、アイスクリームはフランス宮廷にも普及することになった。

また、フィレンツェには「クレーマ・フィオレンティーナ」というジェラートの発祥地であるが、これを考案したのはメディチ家お抱えの建築家ベルナルド・ブオンタレンティである。アイスクリームの歴史において彼を除外することはまず不可能で、氷菓をおいしく製造する機械まで発明している。ルネサンスの芸術家たちはレオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとしてお料理男子が少なくないが、ブオンタレンティもその1人であったといえるだろう。

シチリアから花の都パリへ進出

氷菓を、シチリアの漁村から花の都パリに持ち込んで大成功した男もいる。

フランチェスコ・プロコピオ・デ・コルテッリは、祖父が発明した氷菓製造の機械だけを恃みに、1660年にパリに進出する。ちなみに、彼は小さな漁村で漁業を営んでいたというから、祖父考案の氷菓の機械は家庭で楽しむ規模ものであったに違いない。

ところが、これが大当たりをするのである。フランス風に「プロコープ」と名づけられたカフェでは、シチリアの氷菓が大人気となる。

現在も健在の「カフェ・プロコープ」の氷菓ファンには、太陽王ルイ14世、ヴォルテール、ロヴェスピエール、そして若き日のナポレオンもいたというから豪義ではないか。

ちなみに、上記の「プロコープ」にはすでに、牛乳を加えたジェラートが存在していたのではないかというのが通説になっている。

文書に残る牛乳入りの氷菓の登場は、1694年である。当時のナポリで、ナポリ副王の食卓を取り仕切っていたアントニオ・ラティーニという料理人がレシピとして残しているのが最初となる。

氷菓はそもそも、富裕階級のみが味わえる贅沢品であった。いっぽう、牛乳は貧しい階級のものというイメージがあり、互いに接点がなかったことが近代的なアイスクリームの誕生を遅らせたのである。

イタリアから出たジェラート文化がアイスクリームへ

19世紀初頭まで、氷菓は一部の富裕層が楽しむ奢侈品であった。これが大きく変わったのは、1851年のことである。ヤコブ・フッセルは、アメリカはボルチモアで牛乳店を営んでいた。フッセルは、売れ残った生クリームの処理に頭を悩まし、その結果生まれたのが「アイスクリーム」の生産販売であったのだ。このヤコブ・フッセルが、アイスクリームを産業化の波に乗せ、大衆化に寄与した第一人者とされている。冷凍技術や電力、パッキングの技術が向上した19世紀だからこそ、可能になった事象といえるだろう。

ちなみに、1960年にはハーゲンダッツもニューヨークで開業、当時のフレーバーはバニラとチョコレート、そしてコーヒーの3種であったという。また、古代や中世と同様に、アイスクリームは世界大戦中のアメリカ人兵士にも大変な人気があったという。

日本人がアイスクリームに初めて触れたのは江戸時代末期

日本もヨーロッパと同様に、氷室から氷が皇室に献上されていた記録は残っている。いわゆる近代的なアイスクリームと日本人の遭遇は、江戸時代末期であるといわれている。江戸幕府がアメリカに派遣した訪問団がアイスクリームを食して、その美味に驚嘆したと伝えられているのである。

明治2年に、初めて日本で製造された「あいすくりん」が登場した。牛乳と卵と砂糖をつかったこのお菓子、やはりシャーベットに近かったのではという説もある。

大正期に入り、アイスクリームの大衆化がはじまる。現在では、年間5,000億円を超える大規模な市場に成長し、もはやアイスクリームのない世界など想像もできないほどわれわれの食生活に浸透している。

日本アイスクリーム協会のアンケートによれば、「アイスクリームの好きなところ」という問いに対して「ちょっと幸せな気分になれる」と答えた人が35パーセント近くに上ったという。

甘くて冷っとした食感が与えてくれる幸福感は、古代から変わらないのかもしれない。