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写真:Basque culinary center

料理で博士号が取得できるバスク・クリーナリー・センターが、サンセバスチャンにつくられた理由|スペインを食べる。

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ヨーロッパ大陸の西の端に位置するイベリア半島。様々な民族や文化が混在し、海の幸にも山の幸にも恵まれたこの地に立地するスペインの「食」は、すべてが実に豊かで、丁寧に作られ、そして何より圧倒的に美味い。この国が持つ「食」の実力を、毎回現地からお届けする。
今回は美食の街として世界的名高いサンセバスチャンにある、「料理」の学位を取得することの出来る大学「Basque Culinary Center(バスク・クリーナリー・センター)」を訪問。設立の背景にある思想や、実際の学校生活について取材を行った。

日本でも美食の街として名高いサンセバスチャンは、フランスとの国境近くに位置するバスク地方の港町である。この街の旧市街には華やかなピンチョスを大皿に盛り付けたいくつものバールが並び、訪れる人の目とお腹を楽しませる。しかし、今回はそんな旧市街を後にして、この「美食の街」のもう一つの現場を見に行くことにしよう。

サンセバスチャンの目抜き通りから出る市バスに揺られること約20分。小高い丘の上にこじんまりといった趣で建っているのが、Basque Culinary Center(バスク・クリーナリー・センター:以下BCCと略)である。

BCCは約400人の学生が学ぶ、「料理」で学位を取得することができる4年制の大学である。また学部だけでなく修士課程と博士課程が設置されており、さまざまな視点から「料理」を専門的に研究することができる研究機関という一面も持つ。

大学で「料理」を学ぶとは、一体どのようなことなのだろうか。そしてこのバスクの料理大学で、学生たちはどのような生活を送っているのだろうか。こうした疑問をいだきながら、今回のBCC訪問はスタートした。

写真:Basque culinary center

ヨーロッパの「大学」で「料理」を学ぶことの意味

写真:Basque Culinary Center

今回BCCを案内してくれたマイデル・ハウレギ氏。写真:對馬由佳理

今回BCCを案内してくれたのは、学校の広報担当のマイデル・ハウレギ(Maider Jauregi)氏。キャンパス見学ツアーは、最初にBCCの設立の経緯の説明から始まった。

BCCがこの地に設立されたのは2009年のこと。サンセバスチャンやその近郊でレストランを構える8人のシェフが、大学設立の中心人物となった。その後バスク州政府やサンセバスチャン市といった政府関連機関やバスク地方をはじめとするスペイン国内の有力な食品メーカー等の協力を得て、現在に到るという。

ここでマイデル氏に、とある質問をしてみた。

ヨーロッパにおける「大学」とはアカデミックな世界の総本山とでもいうべき場所である。そうした背景のあるヨーロッパで、職業人(この場合は主に料理人)育成のための4年制大学を設立するということに関して、関係各所の理解を得るのは非常に難しいことだったのではないだろうか。

筆者のこの疑問に対しマイデル氏は「確かにBCC設立に到るまで、そして設立した後も、そうした疑問の声を聞くことはありました。」と即答。さらにこう続けた。

「でもBCCの理念の一つに『料理人をエンジニアのような専門職として、社会に位置づけること』というものがあるんです。例えば(スペインの場合)エンジニアになるためには、大学のエンジニア学部に入学して、4年間さまざまな授業をうけて、現場を学ぶためにインターンのような実習期間を経験します。その上で学部を卒業して、やっと「エンジニア」と名乗ることができますよね。そのように、「料理」に関連することを、さまざまな面から体系的に学習することで「料理人」を一層の専門職に育成しようというのが、BCCの理念なんです。」

BCCの設立以前、ヨーロッパに「料理」で学位をとることができる大学というのは存在しなかったという。しかし、今ではスペインはもちろん、他のヨーロッパ諸国でも「料理」を学ぶことができる大学は増えているとマイデル氏は語る。

BCC設立により、大学で料理を学ぶという新しい選択肢が生まれたわけだが、ヨーロッパでこうした傾向がこの十数年で広がった背景には、一体何があるのだろうか。この疑問を筆者がマイデル氏に伝えたところ、その答えとして彼女が筆者を連れて行ったのは、BCCの裏側にある小さな公園であった。そこから校舎を眺めながら、次の説明が始まった。

「料理」の概念の変化-Gastronomía está cambiando.

写真:Basque culinary center

BCCの校舎。写真:對馬由佳理

BCCの校舎を設計したのは、バームン・アーキテクトゥラ・イ・ウルバニズモ(Vaumm Arquitectura Y Urbanismo)という建築家集団である。校舎の建築デザインを決める際に審査員には設計者の名前は一切知らされず、純粋に建物のデザインだけで審査したところ、合格したのが地元サンセバスチャンに事務所を構えるバームン・アーキテクトゥラ・イ・ウルバニズモであったという。

そんなBCCの建物を裏側から見ると、写真のように大皿が5枚重なったようなデザインとなっていることに気がつく。

「この建物のデザインは、「食物」がどのような過程を経て「料理」になるのか、というのを表わしています。まず、地上階(1階)の大地で「食物」を育てて採取します。そのあと、2階に持っていて洗ったり簡単に加工したあと、3階の調理場にもっていきます。3階の調理場で簡単な調理をし、その後4階にある調理場でもっと手の込んだ調理をして、5階(最上階)にあるレストランで「食物」を「料理」として提供するわけですね。

現在、この建物全体の過程が「料理」として定義されています。昔は4階と5階部分の作業だけが「料理」とされていましたが、今では食物を育てたり採取するところから「料理」の定義が始まっているんですね。つまり、今「料理」を学ぶためは、本当にさまざまな視点から学ぶ必要があるんです。」

農業学やエコロジーの知識はもちろん、文化の違いが料理に与える影響を考えると社会学などの学問も必要になってくる。

「そのために、大学で料理を体系的に学ぶ必要があると、私たちは考えています。たとえば、今BCCではBCC畑(Huerta BCC)という、家庭菜園よりももう少し大きな規模でさまざまな食物を育てる畑を運営しています。これも、学生たちの授業の一環です。どのような土地から食物ができているのか、料理に関わる人は知っておかなくてはいけませんから。」

「料理」はいま変化している真っ最中なんですよ(Gastronomía está cambiando)とマイデル氏は語る。同時に「料理」の世界に関わる人材も変化をしているとも言う。

「今、料理の世界に深く関わる職業は調理人だけではありません。例えば、レストランの運営の方法を良く知る人も必要ですし、その土地で取れた作物を海外に輸出しようとする際にはマーケティングに長けた人材も必要となるでしょう。そうした調理人だけではない「料理」を良く知る人材を育成する場、それがBCCなんです。」

こうした理由から、BCCの学生には、さまざまな形で「料理」を学ぶ機会が開かれている。調理実習が毎日のようにあるのはもちろん、座学で学ぶ教科も数多い。加えて有名シェフがBCCを訪れた際には、講堂に設置されているオープンキッチンを使いながら、シェフ自身が学生の前で料理を披露する。

写真:Basque Culinary School

BCCの講堂。スクリーンの後ろには可動式のオープンキッチンが設置されている。写真:對馬由佳理

また、学校での授業以外でも、バスクのチャコリ(ぶどうで作った発泡酒)のワイナリーや、スペインにおける生ハムの産地であるエクストラマドゥーラ地方の生ハム工場を訪問するなど、課外授業も頻繁に計画されている。

写真:Basque Culinary School

写真:Basque Culinary School

BCC最上階にあるレストランの入り口。「料理」とは何か、という問いに対し(写真上)、卒業生が自由に自分の回答を書いている。「料理とは文化である」と回答した人も(写真下)。写真:對馬由佳理

「BCCでの学生生活は、とてもハードです。実習の授業も多いですし、さまざまなクラスをとる必要があります。でも、この学校で4年間かけて学ぶことは、料理に関するどこの業界に行っても役立つことばかりですよ。」

次回記事では、BCCでの学生生活について詳しくご紹介しよう