5,300年前から食され、僧侶が甘くし、イギリス人が固形にしたチョコレート|食の起源
バレンタインデーが近づくと、カラフルなパッケージのさまざまなチョコレートが町中を彩り、気分も高揚してくる。この時期にしかお目にかかれないチョコレートもあり、ついついお財布のひもが緩んでしまう。
とはいえ、チョコレートが売れるのはバレンタインデーの時期だけではない。チョコレートの世界市場は、年間1,200億ドルに上るともいわれている。チョコレート嫌いを探す方が難しいのだから、当然かもしれない。
かつては、チョコレートといえば虫歯や肥満の原因のようにいわれてきたが、ここ数年はサイエンスの分野からチョコレートが持つさまざまな効能が注目されて、食べかたによってはスーパーフードにもなりうるという嬉しいニュースも耳にする。
人間はいったい、いつ頃からチョコレートを食しているのであろうか。
通説よりもさらに古い歴史を持つことが判明したカカオ
チョコレートの歴史とはすなわち、カカオいう植物の食文化を指す。
これまでは、人類がカカオを食していた歴史はおよそ4,000年前までさかのぼるといわれてきた。その起源も、現在の中米メキシコ付近とされてきたのである。
ところが、2018年に科学誌『Nature Ecology and Evolution』に発表されたところによればその歴史はさらにさかのぼり、南米のエクアドルでは5,300年前にはすでにカカオを食する文化があったのだという。
古代の南米の人々はカカオの実から飲み物を作り、トウガラシなどの香辛料で味つけしていた。高位聖職者や王や貴族たちに愛されたこの苦い飲み物「ショコラトール」こそが、チョコレートの元祖なのである。
キリスト教の僧によって甘くなったチョコレート
ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見するのは、1492年のことである。
しかし、カカオをヨーロッパに持ち込んだのはアメリカ大陸を発見したコロンブスではなく、南米を征服したコルテスというスペイン人であった。カカオの実がスペインに渡ったのは1502年のことであった。
それでは、チョコレートはいつから「甘く」なったのであろうか。
『LA CUCINA ITALIANA』誌の「チョコレートの歴史」を見てみよう。
それまでは香辛料で味つけしていた苦いチョコレートの飲み物に、砂糖やはちみつを入れて甘くするという概念を生みだしたのは、キリスト教会の僧たちであったというのである。それも、規律が厳しいことで有名であったイエズス会の僧たちの手によるというのが愉しい。実際、現代の修道院でも自家製のチョコレートが販売されていることが多い。
スペイン経由でヨーロッパに運ばれたカカオは、またたくまにヨーロッパの宮廷に広がった。当時は、ジビエの味つけにもカカオを用いていたという記述が残る。カカオのアロマは、ジビエにもことのほかマッチしたのであろう。
貴族や王妃、法王にも愛されたチョコレート
当時のヨーロッパでどれほどカカオの飲み物が愛されたか、さまざまなエピソードが残っている。
狷介で知られた教皇ピウス五世は、キリスト教会における断食期間もチョコレートの飲み物は飲んでよいとお触れを出している。ご本人も、チョコレートドリンクが大好きであったことはいうまでもない。
また、スペイン王女で太陽王ルイ十四世のお妃になったマリア・テレーザ(フランス語ではマリー・テレーズ)は、この甘いチョコレートドリンクの飲みすぎで虫歯だらけであったと言われている。もっとも、このお妃さまによってフランスの宮廷でチョコレートが大流行したことはまちがいないようであるが。
そのフランスでは、かのマリー・アントワネットもチョコレート愛好者で旅行先にもチョコレートを持ち込んだと伝えられている。また、音楽家のモーツァルトもチョコレート好きであったようで、1790年に作曲したオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』には「ショコラッテ」が登場するのである。
「食べる」チョコレートの出現は19世紀半ば
われわれが口にする近代のチョコレートの歴史は、どこから始まるのであろうか。
通説では、それは19世紀から始まる。それまで、飲み物であったチョコレートがイギリス人によって、「常温では固く口の中では溶ける」という、まさに我々が口にするチョコレートの原形が作られたのである。
それからのチョコレートの進化は早く、1875年にはスイス人によってミルクチョコレートが誕生、1900年頃にはベルギーで板チョコが生まれている。
ナポレオンの政策が影響を与えたチョコレート
ところで、チョコレートはヨーロッパの歴史とも密接に絡み合っているのをご存知であろうか。
そのひとつが、ナポレオンによる大陸封鎖令とジャンドゥーヤの関係である。
19世紀、ナポレオンよって海上貿易が封鎖され、イギリスからのチョコレートの輸出が不可能になったイタリアのピエモンテでは、足りないチョコレートの代替の食材を模索する。
この結果誕生したのが、ピエモンテ名産のヘーゼルナッツを混ぜ込んだ「ジャンドゥーヤ」というチョコレートである。現在も北イタリアの銘菓として有名なこのチョコ、ナポレオンなくしては生まれ得なかったのかもしれない。
日本とチョコレートの関係は
それでは、このチョコレートが日本に到来したのはいつ頃なのであろうか。
鎖国をしていた江戸時代、唯一中国とオランダとの交易が許されていた長崎の出島に、かの地の遊女が「しょくらあと」なるものを入手したのが最初とされている。
また、最後の将軍慶喜の弟である徳川昭武が、兄から派遣されてパリ万博を訪れた1867年、「ココアを喫する」というと記している。
実際に、日本においてチョコレートの販売が開始されたのは明治時代のことであった。しかし、高価なチョコレートの普及は大正時代に入ってからのこと。森永や不二家といった菓子産業も、創業は大正時代なのである。
第二次世界大戦後、日本におけるチョコレートの工業生産が本格化、昭和30年代に日本の菓子メーカーがバレンタインデーにチョコレートを贈るという風習を広めたとされている。
地球温暖化はカカオの木にも影響が
抗酸化作用などのチョコレートの効能がニュースになることが多くなり、チョコレート好きにはうれしいかぎりである。
しかし、地球の温暖化はチョコレートの原料となるカカオの木にも大きな影響を及ぼしている。アメリカ海洋大気庁(NOAA)が2018年に発表したところによれば、向こう30年間でカカオの木が絶滅する可能性も否定できないのだという。
そのため、アメリカの菓子メーカーなどはカカオの木を救うためのキャンペーンも実施している。
5,000年も続く貴重な食文化チョコレートは、次世代にも伝えるべき人類の遺産というべきであろう。
イラスト:おにぎりまん
イタリアの片田舎で書籍に埋もれて過ごす主婦。イタリアに住むことすでに十数年、計画性なく思い立ったが吉日で風のように旅行をするのが趣味。美術と食文化がもっぱらの関心ごとで、これらの話題の書籍となると大散財する傾向にあり。食材はすべて青空市場で買い込むため、旬のものしか口にしない素朴な食生活を愛す。クーリエ・ジャポン、学研ゲットナビ、ディスカバリーチャンネルなど寄稿多数。