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ロックダウン下のイタリア人は”総シェフ化”で小麦粉とイースト菌が不足|コロナ猛威の中の世界の食

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コロナウィルスが猛威をふるいはじめて以降、大きく変わった私たちの生活。日本でも東京をはじめ外出自粛の動きが広まってきたが、多くの国では日本よりも早い段階で外出を規制する動きが広まった。そんな窮屈な生活の中で、海外の人々は食とどのように付き合い、また楽しんでいるのだろうか。今回は現在のイタリアの様子を、ローマ近郊在住で、EAT UNIVERSITY寄稿ライターである井澤佐知子氏に、「食」という切り口からレポートしてもらった。

コロナウィルスによるイタリアの惨状は、日本でもさまざまに報道されている。しかし、主な報道はコロナウィルスが猛威を振るう北部のニュースが中心である。いっぽう私が住むローマの郊外は感染者数も多くはなく、1日中自宅で過ごす以外はごく平和な毎日である。
私たちの現在の生活をご報告しようと思う。

3月5日、学校の休校措置から始まったコロナ騒動

スーパーは入場制限をしているため内部はガラガラ。買い忘れがないように、無くなった食材はメモ必須

私が住んでいるのは、首都ローマから南に30キロほどのところにある山の町である。
ローマっ子が週末に、きれいな空気と自然、そして田舎料理を楽しみにドライブしながらやってくる土地柄である。

コロナウィルスがイタリア北部で流行し始めていることをしり目に、中国からの観光客の感染が発見されただけのローマは2月下旬までは静かであった。それが一変したのは、3月4日の夜である。イタリア全土の学校が翌日から休校することになった。もちろん、子どもたちのお稽古事も中止。

その後は、北部閉鎖、イタリア全土封鎖、バールやレストランのクローズ、不要不急のお店や生産活動も停止と、感染拡大の防止のためにイタリア政府はあらゆるカードを切ってきた。その間、理由のない外出をした人の罰金は上がり、個々で行う屋外でのスポーツも禁止となった。
人びとはまさに、家の中で閉じこもって24時間を過ごすことになったのである。

3月10日からイタリア全土に外出制限が敷かれてこのかた、子どものクラスのチャットや友人同士のチャット、そしてソーシャル上にはイタリア人の大好きなジョークが毎日のようにあふれるようになった。
たとえば、こんな具合である。

 


イエス・キリスト:今年の復活祭は地上に降りないよ。感染が怖いから。

イタリア人たち:大丈夫。僕らがそっちに行くから。


 

自宅内で夏のバカンスを想定して水着姿になる人や、毎日18時に行われるフラッシュモブに嬉々として参加する人、それをまたジョークにする人などソーシャル上は賑やかであった。

まったく、時間があるとろくなことはしないイタリア人だと自虐的なコメントも多かった。
北部では毎日感染者と死者が増大し、日本ではしきりに「イタリアの医療崩壊」と報道されていたころである。

北部以外のイタリアの各地でも感染者は確実に増えていたけれど、一部の不埒な人々をのぞいてはイタリア人はかなり真面目に家で過ごしていたのである。
ソーシャルには、ジョークとともにもうひとつあふれたものがある。それは、日々料理される写真の数々であった。

小麦粉とイースト菌、欠品中

「小麦粉は1人3キロまで」の張り紙

どこの国でもそうだが、政府がロックダウンを宣言すれば人々はスーパーに殺到する。パニックになるというよりも、当面の生活必需品は確保しておかなくてはという人間の本能であろう。

イタリアでも、スーパーの前には長蛇の列ができるようになった。もっとも、人々がパニックになって殺到したのは最初の1,2日で、その後はスーパーが入店できる人数制限をしたために必然的にできた長蛇の列である。パスタもトマトソースもトイレットペーパーも、まもなく通常通りに戻った。唯一、欠品欠品が続いていたのが小麦粉であった。

新聞社の調査によると、全土が封鎖になったとたん小麦粉の消費は80%も上昇した。次いで、イースト菌も25%の売上上昇。
反対に、リコッタチーズをはじめとする賞味期限が短い商品の消費はガタ落ちとなった。レストランが営業できないため、魚の消費も落ちているという報道もある。

イタリアは日本ほどインスタント商品は充実していないので、長期保存が可能なものといっても知れているのである。

イタリア総シェフ状態に

3度目の挑戦で入手できた小麦粉とイースト菌。ただし、ピザに使われる強力粉は相変わらず欠品中

というわけで、イタリア中の人々が小麦粉をこねてパンやピザやパスタやお菓子を作り始めたのである。

「我々は外出制限中なのであって、総シェフ月間ではありませんよ」というジョークがまた流れてくるほどである。とくに粉もの料理が大人気で、パン、ピッツァ、お菓子の写真が次々にソーシャルに登場する。

数あるレストランも営業が停止となり、フードデリバリーがさかんに広告に登場するようになった。生産業が停止しても、食料に関する生産はこの限りではない。また、物流も止まっていない。そのため、フードデリバリーも問題なしということになっている。

また、イタリアを代表する高名なシェフたちが、自らのソーシャルを使ってさまざまなレシピも公開し始めた。グッチともコラボするマッシモ・ボットゥーラはその筆頭であろう。

イースト菌が足りないというニュースが流れれば、イースト菌が少なめでも問題のないトウモロコシの粉を使ったパンのレシピが公開されるといった具合だ。

イタリア人の食事に不可欠なワインは、買い物をする際には重たいためにオンラインでの購入が上昇したという。それまでは、比較的高価な名前のあるワインがよく売れていたのに、封鎖以後は地元の安価なワインを購入する人が増えたという記事もあった。

食べ物と安全を確保するために

封鎖直後に中止されていた青空広場も、人との間隔をあけるなどの条件をクリアすればOKとなった

ちなみに、1万8千人ほどのわが町は、封鎖がはじまると同時に市役所から通達が来た。

外出が難しい高齢者、あるいはコロナウィルスが陽性となり自宅から出られない市民に対しては、市民保護局のメンバーが必要な食料品は家に届けるというものである。それに対応する食料品店のリストが配られた。また、ごみの収集に関しても陽性になった場合はごみ袋を2重にするなどの決まりも回覧されてきたのである。毎日、あけすけなまでに死者数や感染者数を発表するイタリアは、とにかく現実的な政策がめだつ。

いっぽう、経済的に厳しい南部では、封鎖が1か月近くたつと日々の食材確保が難しい家庭も出てきた。パレルモでは、スーパーで強奪をしようとしたグループが逮捕されている。

政府はすぐにこうした人々のために400億円超の支出を決めたほか、民間でも一般市民が食材を変えない人のために少しずつパスタやパンを寄贈する動きが広がっている。八百屋さんでも、「これを必要な人のために」という文字とともに野菜や果物を無料で配布するところが出てきた。

決して平たんな道ではないけれど

現在、私の周辺で感染者や犠牲者は出ていない。

気分が落ちこんでこちらに住む日本人の友人と連絡を取ると、ちらほら感染者のうわさを聞く。彼らの話を聞くと、とくにバールで働いていた人々の感染率が高いようだ。

イタリアの文化の一端ともなっているバールは、それこそ町の人が常連さんと会い、抱き合って挨拶をし、コーヒー一杯で半日居座り、サッカーや政治をテーマにつばをとばして議論をし、カード遊びに興じる場である。老人たちも家にこもらず、町の広場やバールに行けば知人と時間つぶしができるイタリアのよき風習であったのだ。それが、感染を広げる要因のひとつとなってしまった。今は、バールはおろか広場のベンチでさえも座れないようにロープが張り巡らされている。イタリアの広場の光景であった高齢者の井戸端会議は、いっさい禁止されてしまった。

コンテ首相は、「イタリア人が愛するあらゆる風習を犠牲にしても、今は感染拡大を広げてはならない」と国民に呼びかけた。封鎖直後に、彼がイタリア人に向けたメッセージはその後の長い封鎖を支えているかもしれない。

「今日は互いに距離を置こう、明日は心ゆくまで抱擁しあえるように。今日は家にとどまろう、明日は思いっきり走るために」。

封鎖からほぼ1カ月。
ようやく感染者数は減少する段階に入ってきた。

この先は、決して平たんな道ではない。コロナウィルス終息後の経済の復興も、イタリアの「食」が大きな力となることはまちがいないだろう。