古代ローマ貴族たちの夕食に欠けることがなかった「卵」の歴史|食の起源
私たちの食生活に欠かせない「卵」。
人類は、古代から卵をさまざまな形で食してきた。復活祭も近いことだから、卵にまつわるエピソードとともに卵の歴史を簡単にご紹介しよう。
数々の卵料理は言うに及ばず、お菓子やマヨネーズにも使用されている卵は、我々にとって最も身近にある食材のひとつ。卵の歴史をたどると、すでに古代のエジプト人も食していたことがわかっている。また、神話の時代からキリスト教にいたるまで、卵は哲学的なものとして扱われていたのである。
古代人も食べていた卵
遺跡や文献を手繰ってみれば、卵はすでに古代エジプト人が食べていたことがわかっている。また、2世紀に生きたギリシアの医学者ガレノスは「卵は高齢者の食生活に必須」とも語っている。古代ローマ人も卵を好んで、朝食から夕食にいたるまで、食事でも甘いものでもさまざまな形で卵を食べていたそうだ。
エトルリア文明の墳墓には、当時の饗宴の様子が描かれている。その中には、卵を手に持った人物が確認されている。
それはつまり、当時から卵が「再生」のシンボルであったことも示している。
古代ローマの食卓で不可欠であった卵、その食べ方
ナポリの国立考古学博物館には、古代ローマ時代に使用されていた卵料理用の調理器具が残されている。
紀元前1世紀の著述家ウァロによれば、当時のローマ貴族たちのあいだでは夕食の前菜に卵が欠けることはなかったそうだ。通常は、豆類やレタスとともに食べられていたようだが、魚介とともに卵を食べることも多かったという。
肉や魚を食べる時のソースにも、卵を使用していた。また、鶏の卵だけではなくアヒルやガチョウの卵も食材とされていたことがわかっている。古代ローマ人ははちみつ愛好者であったが、オムレツにもはちみつをかけていたのである。
王侯貴族たちの食卓にも欠かせなかった卵
時代は下り、中世からルネサンス時代になると、卵は王侯貴族の食卓に欠かせないメニューとなる。
肉やチーズとともに、卵は富裕層に好まれた食材であり、復活祭前の断食の時期には食べることが禁止されていた。しかし、病からの回復期や産後の栄養補給には卵は不可欠であった。
現代まで残る中世の卵料理レシピ
料理研究家や歴史家によれば、ヨーロッパの中世に食されていた卵料理のレシピは幸いにして数多く残っている。現在でいうところのポーチドエッグ、モスタルダと呼ばれる果物のシロップ漬けをかけたオムレツ、野菜を使用した「緑のオムレツ」とよばれるものなど、われわれが口にする卵料理とそん色のないメニューが存在していたのである。
また、ルネサンス時代のカリスマ料理家マエストロ・マルティーノのレシピには、チーズやパン粉、卵をミネストローネにした冬向きの料理も残っている。
「卵」が象徴する哲学
人類学の分野では、卵はすでに人類が文明を築いていた時代からこの世の姿の象徴として描かれていた。神話の時代には、四元素と呼ばれる「火」「気」「土」「水」の統合の象徴が、卵であったのである。
キリスト教の時代になっても卵は哲学的な意味を有することでは変わらない。
「悟り」であったり「完璧」の象徴とされたりすることも多く、キリスト教の宗教画には卵がよく登場するのである。ルネサンス時代の画家たちが好んで描いたテーマ「最後の晩餐」の卓上にも、卵はよく描かれた。
復活祭には欠かせない卵
欧米にとって、春の訪れはすなわち復活祭の到来と重なる。
さまざまな宗派に分かれたキリスト教会であるが、卵が復活祭において重要な食材であることではどこも同じである。日本でも、「イースター・エッグ」の名前で話題になることが多い。
復活祭は、その名の通り死したイエス・キリストの復活を祝う行事で、キリスト教会ではクリスマスと並んで重要なイベントである。復活の象徴として、この時期卵の消費は急上昇する。ちょうど、冬から春にかけて漂う明るい空気と「誕生」を意味する卵の消費は、人間の本能にも自然に結びつくのかもしれない。
復活祭の時期に卵を贈るという習慣は、中世のドイツに起源があるといわれている。最初は、主人から使用人へのプレゼントであったようだが、のちに知人との交換へと変化していった。プロテスタントの世界では、今でも茹で卵の殻にきれいな絵を施し贈る習慣がある。
王様や皇帝たちはさらに豪奢で、宝石で飾った卵を親しい人に送ったのである。今も、欧州の美術館でよく目にする卵型の豪華な置物は、こうした習慣がもとになっている。
日本における卵は?
実は、日本人一人当たりの卵の消費は世界でもベスト5に入るほど多い。1年間に329個の卵を消費するというから、ほぼ毎日1個は口にしている計算になる。
歴史を見てみると、すでに日本書紀の時代には宇宙の例えとして「鶏子」という言葉が登場している。つまり、日本においても卵は哲学的な扱いであったのである。
ところが当時の日本では、卵を食するという習慣はなかった。
日本人が卵を食材として認識するのは、室町時代の終わりにカステラをはじめとする南蛮菓子が到来して以降である。
江戸時代には卵はかなり普及し、3代将軍家光が「玉子ふわふわ」を食べたことが記録に残っている。江戸時代を舞台にした時代小説には卵がよく登場するが、実際「豆腐百珍」を模倣して「玉子百珍」というレシピ本も書かれていたから、庶民の間でもそれなりに普及していたのだろう。
卵かけご飯や卵酒、温泉卵などなど、日本特有の食べ方もぜひ世界に誇りたいものだ。
イラスト:おにぎりまん
イタリアの片田舎で書籍に埋もれて過ごす主婦。イタリアに住むことすでに十数年、計画性なく思い立ったが吉日で風のように旅行をするのが趣味。美術と食文化がもっぱらの関心ごとで、これらの話題の書籍となると大散財する傾向にあり。食材はすべて青空市場で買い込むため、旬のものしか口にしない素朴な食生活を愛す。クーリエ・ジャポン、学研ゲットナビ、ディスカバリーチャンネルなど寄稿多数。