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3日目には逃げ出したくなって…怒鳴られる毎日の中でたどり着いたスタートライン|服部陽平のトスカーナ修行記

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料理の世界に魅せられ、自らの腕を磨くためそれぞれの食の本場へ修行へ赴く料理人たち。国や地域の文化や歴史がつまった一皿に向かいながら、料理人たちは何を思い、何を体験しているのだろうか。今回の連載の舞台は美食の国イタリアはトスカーナ。現地のミシュラン一つ星付きレストランで修行を積んだ料理人・服部陽平氏が、現地での経験を記す。

ミシュラン一つ星レストラン・Lunasiaで始まったイタリアでの修行の日々。言葉や料理文化の違いに直面し、迷い、苦しんだ1ヶ月を振り返る(前回までの記事:第1回第2回第3回

語学の学習を支えた日々のメモ

トスカーナ州に位置するレストラン・Lunasiaで働き始めてから1週間、私は毎日怒鳴られていた。料理を学びに来たものの、もちろん周りの環境は学校とは違う。丁寧に手取り足取り教えてくれるわけではない。ここはレストランのキッチンという戦場なのだと改めて気付かされた。悔しかった。

まず言葉が聞き取れない。イタリア人スタッフたちは私を含めた外国人と昼食時などに会話をする時は、比較的ゆっくりとしたスピードで話をしてくれた。だがキッチンでは違った。何倍ものスピードで捲し立てるように長い文章が交わされていく。耳も頭も追いつかず、いつも指示を聞き返していた。

当たり前のことではあるが、レストランのキッチンでは素早く仕込みをしてタイミングよく料理を提供しなければいけない。早く行動しなければ徐々に仕込みが遅れていってしまい、営業に支障をきたしてしまう。

さらに私が苦戦したのは、イタリア語の「訛り」だ。Lunasiaはイタリア各地から料理人が集まっているため、それぞれの発音や物の呼び名が違っていた。私の上司であるカンパーニア出身のファビオのイタリア語に慣れてしまうと、トスカーナ出身のシェフのイタリア語が聞き取れないこともあった。

待ち受けていたのは、素人同然の扱い

調理方法が異なるイタリアの魚料理

次に苦労したのは、日本とは異なるイタリア流の食材の処理法だった。例えば魚をおろす時。日本では内臓を取ってから捌いていくが、イタリアでは(少なくとも何人かは)内臓を付けたまま捌いていた。頼まれた仕事をやる際に日本流で処理を進めていると「やり方が違う!」と怒られるため、毎回確認してから作業に取り掛かる必要があった。

素人同然で雑用係の扱い。毎日怒鳴られ、悔しさや情けなさから働き出して3日目には逃げ出したくなった。しかし逃げたとして、どんな顔をしてこんなにもすぐに日本に帰れるというのか。応援してくれている人たちがいる分、なんだか閉じ込められた気分だった。このレストランでなければもっとゆっくり学べるかもしれない。甘い考えも頭をよぎった。

そんな時に支えになったのが、修行を志した当初の自分の想いだった。何のためにLunasiaに来たのか。あの素敵な料理はここでなければ作れないのではないか。目まぐるしく過ぎていく毎日の中で、なんとか自分自身を鼓舞し続けた。

心に残ったmeglio(最善)という言葉

通勤途中のヴィアレッジョの夕日

状況を改善するために、まずは語学に向き合った。
もちろん日本で事前に勉強していなかったわけではなかった。イタリア修行経験のある知人からは「単語がわかれば何とかなる」と言われることが多かったため、イタリア語のレシピに出てくる食材名や調理用語、道具の名前を重点的に覚えていた。

しかしイタリア語のテキスト通りに会話をしてくれるわけではない。癖も訛りもあり、表現も例文通りではないし、話すスピードも違う。これまでの考えが甘かったと痛感した。

そこで自分なりの学習方法を編み出した。営業中に交わされる会話でわからなかった単語を全てメモしておき、休憩中や仕事終わりに、その単語を使った人に意味を聞きに行く。さらに自分が質問したいことに関連する単語や、スタッフそれぞれがよく使う言い回しやその違い、発音の癖などもメモした。

メモを通勤途中や休憩中に見ながら覚え、仕事終わりに毎日明け方まで勉強する。あまりの情報量の多さに脳の処理が追い付いていないのかと思うほど、体より頭が常に疲労していた。

Lunasiaのスタッフたちは仕事中は厳しいのだが、ありがたいことにそれ以外の時はとても温かく接してくれた。単語の意味を聞けばすぐに教えてくれて、さらに使い方まで丁寧に説明してくれた。

その中でも特に印象に残っていることがある。私の上司のファビオが教えてくれた「meglio(最善)」という言葉だ。「お前のイタリア語は日に日に良くなってきている。今は大変だがそれはここがイタリアだからだ。もし俺が日本に行けば俺も大変だ。だから今はもっともっと頑張れ」。

普段は厳しいがしっかりと自分のことを見てくれていて、親身になってくれるのがとても嬉しかった。言葉通り最善を尽くそうと素直に思えた。

料理人としてのスタート地点に立つ

レストランが位置するヴィアレッジョの街並み

働き始めて2週間目。スタッフがそれぞれ何を言っているのか、少しずつわかるようになってきた。その時の作業は野菜や魚の下処理などが大半を占めていたので、手さえ動かしていれば、考え事をしながらでも仕事になった。

日常会話で使う単語や表現を重点的に覚えたからだろうか。相手の話し方の癖を知ってからは文章が驚くほどスルスルと頭の中に流れてきて、何を話しているのかがスムーズに理解できるようになった。実際の会話でよく使われる表現を自分でも使うように心がけ、自分の考えや意見も話すようにする。文法は多少間違うこともあったがみんなしっかりと聞いて、間違いも正してくれた。

少しずつ言葉が理解できるようになると仕事もイタリア流で覚えられるようになり、流れを掴めてきた。「これで良い?」と確認すると「いや、これは良いじゃない。完璧だ!」という和やかなやりとりが、キッチンでもできるようになった。

働き始めて3週間目。下処理などをしながら少しずつレシピを教えてもらえるようになり、ようやくLunasiaで学ぶためのスタート地点に立てた。以前は逃げたいと思っていた自分の気持ちがまるで嘘だったかのように、その頃は気が晴れていた。

さらに1週間が経った頃にはレシピを教えてもらいながら、1日の仕込みの流れを決めたり、翌日の発注も一緒にやらせてもらえるまでになっていた。初日から考えるととても長く感じた1ヶ月。だが心身共に成長できたような気がして、毎日仕事を楽しめるようになってきていた。

服部 陽平
料理人。千葉県の語学学校を卒業後、料理の道に進む。イタリアンレストランや和食店を経て、2019年にイタリアへ。トスカーナ州のミシュラン一つ星レストラン「Lunasia」で修行を積み、2020年に帰国。料理の歴史や文化をたどることが好き。