鮎の食い方(北大路魯山人) | 美味しい文学
「美味しい文学」では、読むとお腹がすく、食いしん坊のための名作文学をご紹介します。今回取り上げるのは、北大路魯山人の鮎の食い方(1932年初出)。夏の風物詩である鮎のうまい食い方が、筆者の鮎との思い出とともに綴られています。
いろいろな事情で、ふつうの家庭では、鮎を美味く食うように料理はできない。鮎はまず三、四寸ものを塩焼きにして食うのが本手であろうが、生きた鮎や新鮮なものを手に入れるということが、家庭ではできにくい。地方では、ところによりこれのできる家庭もあろうが、東京では絶対にできないといってよい。東京の状況がそうさせるのである。仮に生きた鮎が手に入るとしても、素人がこれを上手に串(に刺して焼くということはできるものではない。
鮎といえば、一般に水を切ればすぐ死んでしまうという印象を与えている。だから、非常にひよわなさかなのように思われているが、その実、鮎は俎上にのせて頭をはねても、ぽんぽん躍り上がるほど元気溌剌たる魚だ。そればかりか、生きているうちはぬらぬらしているから、これを掴んで串に刺すということだけでも、素人には容易に、手際よくいかない。まして、これを体裁よく焼くのは、生やさしいことではない。
もちろん、ふつうの家庭で用いているような、やわらかい炭ではうまく焼けない。尾鰭を焦がして、真黒にしてしまうのなどは、せっかくの美味しさを台なしにしてしまうものだ。いわば絶世の美人を見るに忍びない醜婦にしてしまうことで、あまりに味気ない。
こういうわけで、家庭で鮎が焼けないということは、少しも恥ずかしいことではない。見るからに美味そうに、しかも、艶やかに、鮎の姿体を完全に焼き上げることは、鮎を味わおうとする者が、見た目で感激し、美味さのほどを想像する第一印象の楽しみであるから、かなり重要な仕事と考えねばならぬ。だから、一流料理屋にたよるほかはない。
いったい、なんによらず、味の感覚と形の美とは切っても切れない関係にあるもので、鮎においては、ことさらに形態美を大事にすることが大切だ。
鮎は容姿端麗なさかなだ。それでも産地によって、多少の美醜がないでもない。
鮎は容姿が美しく、光り輝いているものほど、味においても上等である。それだけに、焼き方の手際のよしあしは、鮎食いにとって決定的な要素をもっている。
美味く食うには、勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。一番理想的なのは、釣ったものを、その場で焼いて食うことだろう。
鮎は塩焼にして食うのが一般的になっているが、上等の鮎を洗いづくりにして食うことも非常なご馳走だ。
私がまだ子どもで、京都にいた頃のことであった。ある日、魚屋が鮎の頭と骨ばかりをたくさん持ってきた。鮎の身を取った残りのもの、つまり鮎のあらだ。小魚のあらなんていうのはおかしいが、なんといっても鮎であるから、それを焼いてだしにするとか、または焼き豆腐やなにかといっしょに煮て食うと美味いにはちがいない。
それにしても、こんなにたくさんあるとはいったいどういうわけだろうと、子ども心にふしぎに思って聞いてみた。すると、魚屋のいうのには、京都の三井さんの注文で、鮎の洗いをつくったこれはあらだという。
私はずいぶんぜいたくなことをする人もいるものだなあと驚き、かつ感心した。それ以来、鮎を洗いにつくって食う法もあるということを覚えた。しかし、その後ずっと貧乏書生であった私には、そんなぜいたくは許されず、食う機会がなかった。それでも、今からもう二十五年も昔になるが、遂に私もこの洗いを思う存分賞味する機会を得た。加賀の山中温泉に逗留(とうりゅう)していた時のことである。
山中温泉の町はずれに、蟋蟀橋という床しい名前の橋があり、その橋のたもとに増喜楼という料理屋があった。鮎とか、ごりとか、いわなとか、そういった深い幽谷に産する魚類が常に生かしてあって、しかも、それが安かった。鄙びた山の中の温泉には、ろくに食うものがないから、飯を食おうと思えば、どうしてもそこへ行くよりほかはなかった。
そんなわけで、私はよく増喜楼へ人といっしょに食いに行った。そうした渓魚を食っているときに、ふと子どもの頃知った鮎の洗いのことを思い出した。鮎も安かったからではあるが、さっそく鮎の洗いをつくらして食ってみた。驚いた。とても美味いのだ。なるほど、三井が賞味したわけだと合点した。
美味いに任せて、その時はずいぶん洗いを食った。そうして人が訪ねて来るたびに、増喜楼へ案内して、洗いをつくらせてはご馳走した。ところが、習慣とは妙なもので、たいがいの人は、あっさり食わない。頭はどうしたとか、骨を捨てちゃったのかと心配する。当時、京都相場なら二円くらいもする鮎が、一尾三十銭ぐらいで始終食えたのだ。それが洗いにすると、一人前が一円以上につく。鮎をそんなふうにして食っては、なんとなくもったいないような、悪いような気がして、美味いとは知っても、勇気の出にくいものである。
しかし、所を得れば、洗いは今でもやる。この鮎の洗いからヒントを得て、私はその後、いわなを洗いにして食うことを思いついた。
いわなは五、六寸ぐらいの大きさのものを洗いにすると、鮎に劣らぬ美味さを持っている。
鮎はそのほか、岐阜の雑炊とか、加賀の葛の葉巻とか、竹の筒に入れて焼いて食うものもあるが、どれも本格の塩焼きのできない場合の方法であって、いわば原始的な食い方であり、いずれも優れた食い方ではあるが、必ずしも一番よい方法ではない。それをわざわざ東京で真似てよろこんでいるものもあるが、そういう人は、鮎をトリックで食う、いわゆる芝居食いに満足する輩ではなかろうか。
やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、うっかり食うと火傷するような熱い奴を、ガブッとやるのが香ばしくて最上である。
北大路 魯山人(1883年‐1959年)
京都生まれ。陶芸家・篆刻家・料理研究家・書家・画家という多彩な経歴を持つ。料理に興味を抱き各地で修業を重ね、1925年東京に会員制の高級料亭「星岡茶寮」を開き、美食家として名をはせた。