細かな作業と膨大な仕込み。アンティパストで腕を磨く|服部陽平のトスカーナ修行記
料理の世界に魅せられ、自らの腕を磨くためそれぞれの食の本場へ修行へ赴く料理人たち。国や地域の文化や歴史がつまった一皿に向かいながら、料理人たちは何を思い、何を体験しているのだろうか。今回の連載の舞台は美食の国イタリアはトスカーナ。現地のミシュラン一つ星付きレストランで修行を積んだ料理人・服部陽平氏が、現地での経験を記す。
日本の大学を卒業後、イタリアンレストランや和食店での経験を経て、2019年にイタリアへ向かった。学生ビザを片手に到着したのはトスカーナ州。イタリアの郷土料理をリストランテの料理に変化させる、刺激的な修行の日々が幕を開けた。第1回はこちら。
私が働いていたLunasiaはイタリア・トスカーナの海沿いにあり、斜塔で有名なピサから電車で15分ほどのヴィアレッジョという高級リゾート地に位置していた。5つ星のホテルに併設されたリストランテで、椰子の木が立ち並ぶ道路を挟むと、目の前には地中海のティレニア海が広がる風光明媚な場所だ。
レストランの客席は黒を基調とした壁に緑色のソファが映える、モダンな作り。もちろんキッチンも例外ではない。天井にはパネルライト、そしてオールステンレスの戸棚と作業台。それらを青く浮かび上がらせる間接照明。
ディナーの営業時は手元以外のライトの明るさを落とすことで、より青く雰囲気のある空間が生まれていた。
スペシャリティーごとにわかれる厨房の各部門
キッチンで働いているのはシェフのルカをはじめ、「カーポパルティータ」と呼ばれる部門シェフ、イタリア各地の料理学校から来た研修生、そして私を含めた外国人コックたちの合わせて14人。
カナダやアメリカ、ウクライナなどからこの場に集まってきた外国人コックの同期は、私を含めて6人だった。研修生とコックたちは勤務の初日に希望部門を話し合い、配属を決めていく。一度配属されると基本的には部門の変更はできないので、慎重に選ぶ必要があった。
キッチンは専門分野ごとに5つの部門に分かれていた。まずはアペリティーボ。オリジナルの食前酒と、それに合わせる小菓子を作る。海と砂浜のイメージに合わせてとても小さな焼き菓子を作り、繊細な盛り付けや飾り付けをするため、手先の器用さが求められる。
次にアンティパスト部門だ。魚や牛肉、生牡蠣や海老など日本でも聞き慣れた食材を調理する。色とりどりの料理の盛り付けも特徴だった。プリモと呼ばれる部門ではパスタやリゾットなどを調理。パスタは5種類のソースがあり、それらに合わせて麺はそれぞれ全て手打ちしていた。
それからセコンド部門。コースのメインとなる魚や肉を調理する。興味深かったのは、焼き物に関しては炭を使用すること。和食の調理方法と同じように串を打ち、焼き台でじっくりと焼いていくスタイルにはとても驚いた。
最後にコースメニューを締めくくるドルチェの部門だ。ジェラートや郷土菓子のアレンジ、オリジナルの小菓子を作る。キャンディで作った皿に小菓子を置くなど、遊び心も満載だった。
5つの部門のなかで、私はアンティパスト部門を希望した。すでに日本でも見慣れた食材や料理をどのように調理すると、こんなにも素敵な一皿になるのかを学びたい。そしてそこに至るまでの食材の調理工程や加工技術を学べたら、自分の料理に対するアレンジの幅が広がるかもしれない。
そんな風に考えて希望した結果、見事にアンティパスト部門に配属が決まった。
「お前は今日から俺と働くことになる。よろしく」。カーポパルティータのファビオが、笑顔で声をかけてくれた。ボサっとした白髪混じりの髪にずんぐりとした体型だが、眼鏡の奥の眼光は鋭い。訛りのある話し方に戸惑いながらも、軽く握手を交わした。
そしてその日から、イタリアのレストランで働く大変さを身をもって知っていくこととなる。
一番乗りのキッチンで迎える朝
私の住んでいた家は、レストランまで徒歩で10分程の距離にあった。毎朝7時50分に起床し、8時丁度に家を出る。商店街を抜け海沿いを歩いている間に、気持ちを切り替えて仕事に向かう。コックコートに袖を通してキッチンへと入っていくと、毎朝一番乗りだった。
誰もいない静かなキッチンで準備をしながら、前日に書き出しておいた仕込みのメニューをチェックする。これから始まる一日への期待と少しばかりの緊張感をもったこの時間がとても好きだった。
作業台に調理器具やまな板などを配置してから、前日までに仕込んでいる食材の状態を確認する。そうしているうちに他のコックや研修生がひとり、またひとりと出勤してくる。シェフを除くメンバーは出勤時間の8時30分までには全員揃うのだが、イタリア人の国民性なのだろうか。ギリギリまで揃わない。
だがカーポパルティータのファビオだけは違い、毎朝8時20分にやってきた。「おはよう!調子はどうだ?さっさと始めよう」。急かされるように慌ただしく朝が始まる。
アンティパスト部門の特徴は料理の仕込みの数と細かい作業が多いことだ。調理するのは全8種類のアンティパストだが、1種類に10〜15種類ほどのパーツやソースを使う。毎日全てを仕込むわけではないにしろ、相当な数の仕込みがあった。素材の味を活かしながら新鮮な魚介などをシンプルに調理し、野菜や果実などのパーツで飾り立てていく。
アンティパスト部門は私とファビオの2人だけだった。そのため野菜の切り出しや大量の魚介の下処理など、仕事のスピードの早さと効率の良さも求められた。
イタリアの食材にふれ、知識を吸収する
それぞれの部門で仕込みを進めているうちに、シェフが出勤する。キッチンをまわりながら進捗状況を確認し、その日の予約状況をメンバーに伝えていく。
食材が届くのは10時ごろ。シェフが内容を確認し、チェーラーと呼ばれる大きな冷蔵庫の前に食材を運ぶ。そこから野菜や肉、そして魚専用の冷蔵庫にそれぞれ保管していくのだが、その際にもう一度品物と納品数を確認する必要があった。
私はこの確認作業を毎日1人でやらせてもらっていた。というのも、自分の部門では使わない食材を見ることができる上に、見たこともない食材について学ぶことができるチャンスだと考えたからだ。こうして少しずつ他の部門のメンバーにも声をかけながら食材の使い方を教わることができたのは、とても勉強になった。
服部 陽平
料理人。千葉県の語学学校を卒業後、料理の道に進む。イタリアンレストランや和食店を経て、2019年にイタリアへ。トスカーナ州のミシュラン一つ星レストラン「Lunasia」で修行を積み、2020年に帰国。料理の歴史や文化をたどることが好き。
ライター、編集者。バングラデシュ、東京、宮城など複数の拠点で生活を送る。海外旅行に行く際はローカルマーケットと地元の食堂散策が欠かせない。トマトとナスとチーズが大好物。